述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

若者論の本を大量に出して出版不況を乗り切るつもりらしい

先日Amazonで見つけた若者のトリセツ本があまりに多いので、読んでみようと思う前に、あまりの必死ぶりに「ああ、そもそも出版業界が商機と考えているんだな」と可笑しかったので、その一部のスクショを貼ってみました。企業のマーケティング部門や人事部門は、よほど必死なのだろうなと思うと同時に気の毒に思えてきました。

 

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https://www.amazon.co.jp/

世代論は語って楽しい以上の意味はなし

一般に個人と個人の差のほうが明らかに大きく、特定の世代を切り取ってナントカ世代と命名して論じても、論じられた人々は「オレはこんな奴らと違うよ。十把一絡げにするな」ということが多いでしょう。

世代論が有効なのは、その世代の人達のおおむね15歳頃の「ある程度共通の記憶」ですから、今年に新卒で入社した社会人は1990年代後半生まれなので、阪神淡路大震災オウム事件モーニング娘。もリアルタイムでは知らず、この人たちが15歳頃にあった出来事は東日本大震災福島原発事故くらいしかなく(大事故大災害ですが)、同時にスマートフォンが普及し始めたころですから、次第にガラケーからの移行が行われているので、スマホネイティブ世代という程度でしょう。

あと、この頃に断捨離が流行り始めていますし、同時に年金不安や貧困問題がクローズアップされていますから、新たに社会に出た彼らが周囲に釣られて自分が本当に好きかどうかわからないものに消費をせずに、節度ある生活を志向するのは当然のことかと思います。

 そもそもこんな本ばかり量産するから相互理解ができないのではないか

この手の若者本と同じくらい量産されているのがビジネス啓発書ですが、99%は役に立たないようです。具体的には実践はそう簡単ではない、自分が置かれた環境に合うのかどうなのかもわからないといったもののようです。

世代論の本は読んでいるとそれなりに面白いのですが、いくら読んでも相互理解にはつながらず、昔も今も世代間の相互理解は難しいのです。

私の知っている一例を挙げると、かなり昔ですが、いわゆる団塊ジュニア世代が堀内孝雄のこの歌をカラオケレパートリーにしているという話を聞いて、いささかびっくりしたことがあります。


続・竹とんぼー青春(ゆめ)のしっぽー【本物】/堀内孝雄/1999年はぐれ刑事純情派主題歌

この曲について、私の率直な感想をいえば「団塊の世代が勝手なことを言っている歌だな」としか思わず、そもそも学生運動というのは団塊の世代のごく一部の人たちがやっていたことなのですが、この団塊ジュニアさんはおじさんたちへのサービスのつもりで歌っているとしか思えず、なんだか滑稽な勘違いが交差していて、つくづく世代論というのは無意味だなと実感した次第です。

以上、結論も何もないのですが、たまたま本日思ったことを書き連ねてみました。