述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

中世音楽講座受講報告 (そして私は近代主義が嫌いだ)

ルドン絢子先生の中世音楽講座を3回に分けて受講してきましたので、その感想と自分なりに考えたことを取り留めなく書いてみようと思います。

 

www.medievalmusicjapan.com

 

私は普通の五線譜もマトモに読めない(正確には調号が出た段階ですでにアウト)ドシロートなわけで、本来こうした講座を受講するには知識足らずであろうと思ったのですが、ルドン先生も「演奏家ではないのだから何か知識を得て帰ってくれればよいです。」とのことでしたので、将来何かの役に立つかもしれません。

 

一般に「お稽古ごと」となると、圧倒的に女性ばかりで男性の居場所がないのですが、こちらは大学の講座ですから男女半々くらいで、しかも英単語帳のようなものにビッシリとラテン語典礼文を書いてきて照合している勉学熱心な方々もおり、久々に向学心に燃えてきた次第です。

以下、特に脈絡なく記載してみます。

バッハ以前の音楽が知られるようになったのは戦後である

クラシック音楽を聴く楽しみというのは戦前からあるわけですが、概ね金持ちないし教養主義者の道楽であって、しかも西洋音楽史がいきなりバッハから始まっていたようです。(古い音楽教科書ではバッハを古典派として扱っていたりするものがありますし、そのバッハも19世紀半ばに「再発見」された人です。)

 

よってこの世界観によれば、バッハが造物主のように存在して、モーツァルトハイドンなどが周辺を舞う天使で、満を持して生誕したベートーヴェン楽聖として戴冠するという音楽史になり、そして19世紀末でクラシック音楽は終わりとなります。

 

この世界観を改めたのは皆川達夫氏であって、長らく「バロック音楽の楽しみ」というラジオ番組で解説を務めたことなどが奏功して現在に至ります。

 

クラオタにとって中世音楽も現代音楽もゲテモノである

クラシックオタク(通称「クラオタ」)と呼ばれる人たちは、おそらく私の家のステレオ装置の値段より桁が一つ二つ多いオーディオシステムを持ち、自室でブランデーとシガレットを嗜みながら(?)お気に入りのレコード(CD)を聴く人々で、それはそれでステキでしょうが、彼らは自分の「神聖な」オーディオから出るべき音を厳選しているようで、中世音楽ポリフォニーや現代音楽のエレキものが許しがたいらしく、この人たちに中世音楽のことを話しても「野蛮人の音楽」だと一蹴されて終わりのような気がします。

(ちなみに、ルネサンス以前の音楽が奇異に聴こえるのは一般的な協和音(ドミソ)がまだなくて、ドソに近い不安定な響きが続くからであって、そのうちドミソの協和音が発見され、そしてミの音が半音下がるとマイナー和音の暗い響きになるわけですが、それは相当後代の発明品であるとのことです。)

クラシック音楽以外認めないという某漫画家氏がロックやジャズのことを「汗かき音楽」と読んで軽蔑していましたが、きっとこの人は交友関係が狭いのだと思います。

 

You TubeSpotifyは予習復習に役に立つ

一昔前なら考えられないことですが、講座の教材音源の大半はYou TubeまたはiTunesの音源であり、聴くべき中世音楽アンサンブルのご紹介をいただき、皆メモ(ではなくて、黒板に書かれたものの写真)をiPhoneで撮っていました。

 家で復習するときには、それらを検索して聴けばよいのです。音楽配信サービスなるものは音楽の素朴な感動を台無しにするという批判もあるでしょうが、物事なんであれ良い面だけ、または悪い面だけということはないので、ユーザーの心がけ次第でしょう。

どこかの親切な人が音に合わせて楽譜を動かしてくれているので、何度も復習するには相当良いと思います。

 


Rhythmic mode - Video Learning - WizScience.com

 

モードリトミックマイルス・デイヴィスのKind of Blueについて

初回の授業でモードリトミックというものを実演付きで教えていただいた次第ですが、この音形はモード・ジャズの最高峰とも云われるマイルス・デイヴィスのカインド・オブ・ブルーの各曲によく似ていて、そもそもモロにこれじゃないのだろうかと思いました。

 

ジャズ史と称される書物を読むと、モード・ジャズとは何であるかと説くに「理屈はよくわからんがモードだ」と話をはぐらかされるわけですが、まぁ普通にモード・ジャズの名盤をいくつか挙げておけばよいらしいです。

 

とにかく、カインド・オブ・ブルーの作者がすでに天国に行かれているので確かめようがないのですが、きっとモードリトミックなのだろうと勝手に決めておきます。

 

 


All Blues- Miles Davis

 

わりと皆さんカトリックのミサには出席したことがない

中世音楽講座なのですから、かなりの部分で宗教音楽の話になりますし、それらのラテン語典礼文をよくご存知の方が多いのですが、実際のカトリックのミサには出席したことがないらしく、要するに日本のキリスト教はそれだけ魅力がないのでしょう。

一方、キリスト教信者の方は音楽に関心がなく、あろうことかバッハの「G線上のアリア」を人に聴かせて「これ!これがキリスト教なのよ」とおっしゃる方がいるようなので、知人と次のような話をしました。

キリスト教音楽を言うのならバッハのヨハネ受難曲でも聴かせたほいがいいんじゃないか

●いやいや、冒頭のHerr!の歌い出しで皆逃げ出すからw

○やっぱり音楽のこともキリスト教のことも知らないんだねぇ。

これはもう仕方がないことであって、彼らはミサで歌う典礼聖歌というものを音楽の授業と同じように義務的にやっているのでしょう。

今後に向けて

表題にも書いているとおり私は近代主義(正確には啓蒙主義)が嫌いです。楽譜の成立過程を学んでいたときにこれは確信に変わったのですが、最初に記譜する必要が生じて何かの工夫をし、それらが都合が悪くなれば改良していき、またあちこちの修道院で違う歌い方(記譜の仕方)をしていては都合が悪いからだんだん整理統合されていったというその課程が大事なのであって、最初から何かの理念に基づく合理性を追求してしまうと、それまでの伝統の中に包含されていた別の「実質合理性」が破壊されてしまいます。

雷や皆既日食は神の怒りでもなんでもなく自然現象であるというのは現在では自明ですが、さりとて雷の危険が去ったわけでもありません。

なにも中世の迷妄に返るべきだと言っているのではないですが、神聖なもの畏れ多いものを神秘のままにしておきたいものです。なんでもかんでも最初に合理的なお題目を掲げて、納得できなければそれをやらないというのは近代主義の悪弊です(笑)

 

あと、中世以前の相当にメチャクチャな典礼文や聖母マリア賛歌に藉口して何かの恋愛歌をやっていたりするものや、長く引き伸ばされた「キリエ」の上で全然別の世俗的なことを歌っているものが多数あり、西洋音楽史を学ぶ上での端緒となるお話が多数聴けました。 

 

ルドン先生。ロン毛の後ろにカラフルなメッシュを入れたステキな方でした。また何かの機会に習いにいきたいと思います。

札幌国際芸術祭2017:なぜかシュトックハウゼン・刀根康尚・クリスチャン・マークレー

札幌芸術の森美術館で開催された札幌国際芸術祭2017に足を運んできました。

 

siaf.jp

 

近年よくある市民参加型のアートイベントで、美術/音楽/工芸/パフォーマンス等の展示が市内各地で同時多発的に実施されています。

あまり世評は良くないようですが、この種のイベントが大人気だったら逆に奇跡ですし、今から遡ること30年前にハコモノで盛大な赤字を出した「北海道 世界食の祭典」と違って、既存のハコモノを有効利用しているだけまだ良いほうだと思います。

芸術だとお高いがアートといえば格好がいい(?)

言葉の言い換えだと思いますが、クラシック音楽(19世紀以前)や泰西名画は「芸術」で、ノイズミュージックやビデオ等を駆使すれば「アート」であるらしく、このニュアンスの違いで云う限り、「アート」のほうが娯楽寄りになって少し集客につながるようです。

とはいうものの、迫力とスケールと集客力と喫驚度においては伝説の「大阪万博1970」をしのぐものではなく、娯楽性に関してはTDLのパレードやアトラクションをしのぐものではないので、政令指定都市とはいえ一地方都市である札幌市の文化事業としてはそれなりに意義あるものだと私は思います。

 

まずは EYE ドッカイドー/海

siaf.jp

 

このイベントに参加するには鑑賞前に待合室でサングラスをかけて15分ほど目を休ませる必要があります。上演が真っ暗な室内で行われるので、危険防止のための配慮かと思われます。

で、開演時間になってそろそろと入場。ふわふわの床マットに蓄光されたビーズが銀河系のように散乱する中、怪しい電子音楽がモワ~ンと鳴っています。

こうした音楽自体は普段から馴染んでいるので、まぁアートだから当然だなとは思ったものの、どうもどこかで聴いたことのあるフレーズがちらほらと・・・♪ウオエイウオエイ~ウェン~~~~ズデイとか言っているので、すぐに判明。

これ、シュトックハウゼンのシュティムンクですわ(笑)

とはいうものの、何かの元音源に相当な二次加工処理をしているらしく、リングモジュレータっぽい音や過剰なエコー、音高の極端な変化などがちらほらと響いていました。

そして、このイベントの楽しみ方は歩くのではなく、銀河系のような床マットを四つん這いで這いずり回るのです。

無我夢中でハイハイをしていると、なんとなく忘我の境地に近くなり、それと同時に子どもの頃には身近だった「床」と久々に対面するという不思議な体験でもありました。

 

これがオリジナルのシュティムンクです。

www.youtube.com

 

クリスチャン・マークレー 「NEW LIFE:リプレイのない展覧会」

 

siaf.jp

 

この週末はクロージングで盛り上がる「札幌国際芸術祭2017」へ! 注目作家クリスチャン・マークレーのインタビューと必見展示をご紹介します。 | News&Topics | Pen Online

 

クリスチャン・マークレーといえば、一般的には「ターンテーブルの人(でもDJじゃない)」という説明しにくいタイプのアーティストで、実は私もその程度のことしか知りませんが、このイベントは上のブログ記事のほうが詳しいので、そちらをご参照いただくとして、「動いているのが不思議な産業廃棄物レベルのIT機器」を駆使して、それらが解体され鉄ゴミになっていく映像を再帰的に楽しむものとなっています。

 

20年くらい前のPC、ガラケー、ブラウン管モニターの中にそれらが轟々という音を立てて解体される音と情景が映し出されるわけで、実は私も工事現場とか解体工場の騒音は、短時間聴いていればノイズ・ミュージックみたいだなと思ったことがありますので、ちょっとした慧眼になりました。

補記:そういえば、昨今の音響系と呼ばれる人たちの作品にはiPhoneを使った作品が増えてきたように思います。MacBookはもうだいぶ前から使われています。

 

刀根康尚 IL PLEUT

siaf.jp

あの実験音楽集団フルクサスの人です。オノヨーコさんの仲間です。生ける伝説のお方の作品をライブ(とはいっても電子音楽ですが)で堪能できるのは大変ありがたいことです。

極めて小さいスピーカー数百個を立体的に配置して、そのスピーカーから雨の音とともにフランス語と英語で「雨が降っている」「曇っている」「雨が降っていた」・・・という言葉が空間移動で走り回るというものです。

ただ、漫然と立っているだけではダメで、鑑賞者自ら室内を歩きまわることで、より空間移動の楽しみが倍増することになっています。できれば脚立などの道具があったほうがより立体的に聴こえると思いますが、さすがに展示会場にそういう無粋なモノは持ち込めないようです。

 

お客さんの反応

コンサートと違って出入り自由なわけですから、よくありがちな市民向けクラシックコンサートでの窮屈さに比べれば、こちらのほうが開放的で楽しめるものとなっていたようです。

 

ただ、楽しみ方の紹介はあったほうが良いようで、EYESの会場では「立って歩くのではなく、床を這ってみてください」とか、刀根康尚の会場では「どうぞ積極的に動き回ってみてください」という案内が欲しかったと思います。

 

 終わりに

今回のイベントのメイン会場は、この「札幌芸術の森美術館」と、旧川を利用した「モエレ沼公園」ですが、どちらも郊外の自然環境をうまく活かした施設となっていて、たびたび繰り返して申し訳ないですが、北海道のトラウマとなっている30年前の「 北海道食の祭典」のような大失態には至っておらず、その点嬉しいところです。

 

moerenumapark.jp

 

実は2018年に同種のハコモノがオープンすることになっていて、こちらは市内中心部に作っていますから自然との共生はあまりテーマには上がらないようですが、有効に活かして使ってくれることを願いたいものです。

いかにしてPCを廃止するか(私的環境オールクラウド化方策)

昨年あたりから、PCのあまりのつまらなさに辟易して、CADやなビデオ編集などいわゆるワークステーション的な使い方以外、PCなんてやめてしまおうと決意して次のように計画し、その一部を実施してみた結果を書きたいと思います。

 

1 外部ストレージの廃止(実施済み)

今年の4月にすべて廃止して、GoogleDriveに移行済です。唯一残っているのが128GMのUSBメモリで、これはレスキュー用だからやむを得ず残してあります。

 

これまで所有してきた極めて重要な映像音楽ファイルについて、実際のところは配信では出ていない音源や映像ソースがあるのですけど、それほど多いわけでもないですし、特に映画などというものは一度見てしまえば当分見ないものです。

 

闇金ウシジマくん(映画版)も5,6回見て満足しましたし、タルコフスキーとかキューブリック黒澤明のような巨匠の往年の名画も時々レンタルで配信されているのですから、それで良いものとします。

 

思い起こせば、iTunesが出たときに感動して膨大なCDを全部ハードディスクに取り込んで音盤を売ってしまい、大切に大切にバックアップを取りながら維持してきたのも今は昔。

 

一度割り切ってしまえばリソースと時間の無駄遣いだったという空虚な気持ちだけが残っています。

 

2 Bluetoothアンプの購入(導入済み)

 

音楽映画鑑賞はすべて配信にするということにしたわけですが、さらに馬鹿でかいわりに大して音が良くないアナログAVアンプは一切廃止することにしました。

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こんな感じ。iPhoneの半分以下のサイズで、USB、アナログ、Bluetooth対応。音質も悪くないです。

 

もともと配信のために圧縮している音源を、さらに無線で飛ばすBluetoothは音質面でのデメリットは多々あって、実際に倍音の多い音源を出すと音が少しビビるのですけど、本気で音楽や映像を鑑賞したいときには有線ヘッドホンで聴けば良く、そういう時間は1日のうち1時間あるかないかなので、これもわりきってしまえば、ケーブル類を減らせてありがたいです。

 

で、聴いてみたところ決して悪くない音質で、昨今のデジタルアンプを侮るなかれという声はやはり本当だったようです。お値段3680円でしたので、この値段なら3年使って壊れても特に問題はないでしょう。

 

3 エンドポイントをどのように振り分けるか

 

目下、次のように計画し、一部はすでに導入済みです。

 

エンドポイント1 iPhoneSE(導入済み)

 

これは2016年購入ですから、あと3年は持たせる必要がありますが、当面何の問題もなく動いています。

 

用途は 日常生活全般。

 

エンドポイント2  iPad mini2(導入済み 買い替え予定)

 

2014年購入なので、来年後半あたりに買い替え時かと思われます。用途は読書と映画鑑賞とSNS。特にこれまでPDF化してきた電子書籍は自分の唯一の資産といってもいいくらいなので、まぁ大事にしていきたいと思います。

 

 

エンドポイント3  Amazon FireTV

これまでもっぱらPCでやってきた音楽/映像鑑賞を引き剥がすべく導入に踏み切ります。これらを切り離せば、PCで行うべき作業は端末エミュレータ操作と文章入力だけになります。

Fire TV Stick (New モデル)

Fire TV Stick (New モデル)

 

 

 

エンドポイント4  PC(現在のPCまたはChromebookなど)

 

KVM機能だけ残して可能ならばAmazon WorkspaceによるVDI環境に移行したいのですが、まぁ年間予算もそれなりになることだし、当面ChromeBookのようなものに移行してしまおうと思います。

 

これとは別途にLinux環境をクラウド上に用意して、遊んでみるということにしましょうか。

 

上記の目的で「さくらインターネット」のVPNCentOSWindows Server2012)にお試し加入してみた結果がこれです。

 

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Windows Server2012(VPN)上で動作するTeraTermCentOS(VPN)を動作させています。両インスタンスともさくらインターネット提供。

 

さすがに、ミニマルプランということで動作は緩慢です。ビジネス用途でExcelを使うのならもう少し上位のプランにしておくと良いと思います。

 

2020年にWindows7のサポートが切れることで、おそらく企業からの大量の放出品が出回ると思いますから、来年に期待してみましょう。

(CD)大塚茜歌曲集 感想文

作曲家の大塚茜さん(フルート奏者ではありません)のアルバム「大塚茜歌曲集」を入手しましたので感想文を書きたいと思います。

実はまったく名前を存じ上げなかったのですが、Facebookで交誼をいただいているミュージシャン数名がご参加ということで知った次第です。

YouTubeに上がっているサンプル音源があまりにぶっ飛びすぎなので、普段滅多にCDなどは買わない私ですが、これこそ絶対に入手すべきだと確信したのが発端です。

 

(我が家にお出迎えの図 右はJohn Cage 4:33の各楽章の時間の砂時計)

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iTunes に取り込んだ状態)

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#CDDBのエラーなのですが、これではあんまりなのであとで変更します。

 

感想など

まずは妻と一緒に聴いてみたので、その会話を記録してみます。

 

妻「何?この変な曲」

私「当然だ!"泣ける歌"だの"勇気が出る歌"だのを俺が聴くわけなかろう。音楽というのは面白くてナンボだ」

妻「"ホルモン奴隷"のサビのところって、クリムゾンみたいだね」

私「言われてみればそんな気もするけど・・」

妻「なんか歌詞と音楽が演劇っぽい気がするけど」

私「解説では演劇方面の活動もやってらした方らしいよ。」

妻「"口笛を我に赦す"って"みんなのうた"にもいい感じだね。これはいい曲だと思う。」

私「しかし、たいていのポピュラーアルバムって歌手が同じでアレンジだけが違うんだけど、こっちは曲もアレンジも歌手も全部違うよね。」

 妻「ヴォーカリストも歌唱法も同じだと全部その人の歌になっちゃうからね。」

 私「武満徹ソングズもそうだよな。同じ人が歌うのなら相当アレンジを変えないと辛いし」

私の曲別感想

 

○ホルモン奴隷

某アニソンで有名であるらしい原田千栄さんのヴォーカルが炸裂する逸品。歌詞はいちいち説明する必要がないでしょうが怨念を感じます(笑)

この方は、後に出てくる「つまらないことはお金をもらってもやりたくない」で全く別の歌唱をやっているのですが、アニソンを歌っている人の歌唱力と声量は相当なものがあると思います。

○チュ・ルルル

V.Fっぽい始まりで、途中でドシャーンと入るタムタム風の音がなにやらシュールで大笑いした曲。個人的に一番気に入った曲です。

○いちじく

いきなり邦楽(三味線と歌)です。しかし、こうした方面の音楽というのは私にとってまだ未知ジャンルなので(つまり私の世代では音楽であると考えられていないということです)、これはもう大塚さんをはじめ若い世代の作曲家が積極的に紹介してくださるのを期待します。

○つまらないことはお金をもらってもやりたくない

すごい力作です。何が力作かといって、音楽大学で作曲を学んだ方の作品とそうでない方の作品の違いがこういうところに出るわけで、中間部のフリーキーなチューバや2つのメロディの同時進行など、YouTube音源にはこの辺はカットされていて出てこないのですが、とにかく聴いてください。凄いですから。

 

ちなみに、iOS搭載のSiriさんにこの曲のタイトルを相談したところ次のような返答でした(笑)

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○口笛を我に赦す

最初にも書いたのですが、こういう歌は「みんなのうた」などで聴いても普通に受け入れられると思いますし、おそらく全曲を通して一般リスナーに理解できそうなのはこの曲だけかもしれないと思いました。

 

ほか思いついた感想は随時何かに書いておくか、誰かと話すかなどしたいと思います。

 

あいにくとAmazonで購入できるCDではないので、ご購入はこちらから。

akanekko.stores.jp

 

 

 

(コンサート見聞録)札幌旭丘高校合唱部第16回定期演奏会

3月25日、札幌コンサートホールキタラ大ホールにて行われた、札幌旭丘高校合唱部の第16回定期演奏会に足を運んできましたので、感想などを書こうと思います。

 

札幌コンサートホール Kitara

 

北海道札幌旭丘高等学校:Home

 

全国大会レベルの実力を持ち、すでに何度か受賞もしているということで、結構な規模の大ホールはほぼ満員。全席自由なので空いている席が探せず、スタッフの方に頼んで探していただいたところ、客席最前列のやや左側でオーケストラの配置でいえばヴァイオリンの最後尾の正面あたりという、噂に聞くサントリーホールのサスペンダー氏(?)のような、些か恐縮な場所に座らせていただきました。

 

私は実はこの高校にも合唱そのものにも縁のないただの音楽ファンにすぎず、本当はこの翌日に演奏されたバッハ作曲「マタイ受難曲」全曲演奏に足を運ぼうと思っていたのですが、極めて長い曲でもありますし、録音でよく知っている曲をわざわざ聴きに行くよりも、知らない曲(合唱関係者には有名かもしれません)を聴いたほうが新鮮でよかろうということで、足を運んだ次第です。

 

(1)顧問 大木教諭の退職 

この合唱部を長年指導していた大木教諭が定年により引退されるということで、その記念コンサートということになっていたようです。とはいえ、おそらく公職を引退しただけで、完全隠居なさるご年齢でもなさそうですので、名誉顧問のような形で指導していただくのがよいかと推察します。

 

最前列で聴いていた関係で指揮姿は良く見えたのですが、終始にこやかな表情でしたので、きっと明るいお人柄で部員にも慕われているのだと思います。

 

 (2)演奏曲目

1 次元(三宅悠太作曲)

2 少年時(鈴木輝昭作曲)

3 Che se tu se'il cor mio(Guarani作曲)

4 O Magnum Mysterium(Memley作曲)

 

5 ペッパー警部(踊り付き)

6 オー・シャンゼリゼ(踊り付き)

 

7 Aba Po,Santa Mariang Reyna (Ryan Cayabyab作曲)

8 Sleep (Eric Whitacre作曲)

 

9 レクイエム(フォーレ作曲)

 

 

(3)ソリストとオーケストラの皆さん

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(3)感想など

 

Aba Po,Santa Mariang Reynaなる曲はタガログ語(フィリピンのネイティブ言語)のテキストであるらしく非常に新鮮でした。ラテン語タガログ語、日本語という混在言語である上に、学校での風景を歌っているコンクール曲では学生っぽく、ペッパー警部は明るく元気に、レクイエム等では宗教音楽として、それぞれしっかりとそのように聴こえているのが素晴らしいと思いました。

 

部員は圧倒的に女性(女声)が多いのですけど、レクイエムでは何箇所か男声が強調される箇所があって、そこは男子部員がしっかり歌っておられたようです。

 

繰り返しますが、私は合唱関係者でもなく演奏家でもないので、個々の曲についてその出来不出来を論評することはできません。日本語で「合唱」と書いてしまうと十把一からげになってしまうのですが、何もベートーヴェンの第9だけが合唱ではないわけで、それぞれコンクールの課題曲、現代曲、宗教音楽、ポピュラー曲等の「音楽」として素晴らしく聴こえたという賛辞を贈りたいと思います。

 

余談ですが、某音楽評論家氏が「自分がどんなに力作の評論本を書いてもAmazonの売上No1であるピンクレディのDVD付き振り付け本には数字で勝てない」と言っていたのですが、まさかこんな場面でニーズがあるとは思いませんでした。

 

 (4)札幌コンサートホールキタラについて

響きのよいホールということで好評をいただいているようなのですが、いわゆるハコモノ行政で作られた施設ですので、元副市長である実務家の秋元市長はおそらく「成金趣味なコンサート誘致はやめて、地元の文化育成に傾注するという」方向に舵を切ったのではないかと思います。

 

3月26日上演のマタイ受難曲全曲はアマチュアとはいえ、ちゃんとレント(受難節)に演奏していますし、大物ミュージシャンの来日公演が聴きたい方はそれ以外の遊びも兼ねて東京まで行けばよいのです。それがご縁で一日違いの札幌旭丘高校合唱部の演奏に出会えたのは大変良いことだったと思います。

2016年度に捨てたもの(IT関連)

3月も下旬となり、今年度ももう終わりそうなので、2016年度に捨てたものを自分の振り返りとして書きとどめておこうと思います。

 

Mac

15年ほどMacユーザー(正確にはメインマシンとしてMacを使うユーザー)をやってきましたが、macos Sierraにも特筆すべき魅力はなく、なんとなくカッコイイからという雰囲気だけでMacを使う人と比べられるのがイヤで手放してしまいました。

 

現在のメインマシンはTSUKUMOのオリジナルPCです。第6世代Core i5 にRAM16GB SSD256GBという仕様はほどほど問題はなく、仮想マシンの運用にも支障をきたさない上に、使っているアプリの大半はMacのときと同様にクロスプラットフォームで開発されたものですから、生活系としての環境に大きな変化はありません。

 

●外付けハードディスク(USBメモリを含む)

大量の音楽/映像ファイルを二重化して確保していましたが、すでにそうしたものは配信で手に入りますし、わずかなローカルファイルだけクラウドにバックアップを取ればよいだけになっていますから、全部撤去しました。

現在、Google Driveの250GBプランに加入しています。

 

Facebook

SNSというのは気脈を通じた人だけの小規模でクローズドな関係で楽しむのが最善で、およそ低俗政治批判サイトのシェアばかり垂れ流していたり、自分の店のイベントや自分の作品の発表会のときだけ狂ったように宣伝している人は極めて不愉快です。

実際にFacebookの投稿は全体的にかなり減っているようで、減った分はInstagramやSwarmなどに流れているのだとは思いますが、もう自分は原点に帰ってmixiTwitterだけで狭く交流していたいと思います。

誰をフォローするかで違いますが、Twitterで政治的な意見表明をしている人は短文とはいえ自分の意見を主張している人が多いのですが、Facebookのそれは拡散それ自体が自己目的化していて、それをすることで何かの社会運動をやっているつもりになっているように思えます。

 

これら3つを捨てると、部屋の中も自分のPC環境もすっきりし、何かの長文を書いたりテクニカルな作業をしたりするとき以外はPCの前にいる必要もなくなりました。

 

これによって、布団の中で過ごす時間が長くなり、多少の運動不足は懸念されますが、余計なカネを使わずに済むようになったので、月に2000円程度の積立預金でも始めようかと考えています。

それでも寺院葬を勧める 寺院/僧侶という機関

葬儀の質素化と並行するように従来の石墓をやめて散骨や樹木葬にしたいという人が増えているようです。

 

www.jyumoku-funeral.com

 

背景にあるのは、親戚関係の希薄化や地域の衰退、そして最も大きな理由として遺族の墓参負担や経済負担を減らしたいという理由があるようです。

 

死生観は人それぞれですし、故人の意向もあるでしょうからどうしても散骨や樹木葬にしたいというのであれば、まったく無碍にもできず、これまで寺院では仏式葬儀のお布施と戒名代と院内墓や骨堂の売上が収入源だったわけですから、いろいろな意味で変化が大きいことと思います。

 

現在、洋の東西を問わず宗教はあまり流行っていないというのも、葬儀や埋葬の変化の一因であろうと思いますが、あくまでも「流行っていない」だけであって、宗教がなくなったわけではありませんから、葬儀のあり方を変えるのであれば、それらの宗教に規定されてきた死生観を一度まっさらにして新たな死生観を構築する必要があります。

 

現状、自分の周辺を見ているとおカネの問題が真っ先にきて、次いで自分の墓を供養してくれる子孫もいそうにないという現状に慌てて、無理やりそうした新葬儀を編み出したように見えます。とうてい新しい死生観を確立したようには思えません。

 

キリスト教文化の場合、キリストの再臨とともに死者は墓から復活して栄光の体になるというのが基本にありますから、神学的な意味付けを気にしなければ「やがて御国で会いましょう」という死生観は実はそれほど変わっていないのではないかと思います。(キリスト教の人に聞いたわけではないので確かではありませんが)

 

日本の場合、死者というのは懇ろに供養しないと祟ったり化けて出たり因果が報いたりする存在なので、両親の葬儀を簡素化したり、散骨したりするのは良いとして、あとで遺族(子や孫の世代)にイヤなことが続いてインチキ占い師に相談に行き、「あなたはご両親の供養をちゃんとやっていませんね!」と脅かされたら、それに抗うのは難しいと思います。(その結果、無用な大金を掠められるリスクがあります)

 

別に葬儀にも墓にも戒名にも大金をかけろという意味ではないのですが、のちのちイヤな思いをするのが怖いなら、寺院/僧侶という一種の機関を上手に使ったほうが懸命だと思います。

 

実際に僧侶や牧師に聞いた話では、供養とかメモリアルとかいうのは遺族へのカウンセリングであると明言しています。もちろん、死者のことはすっかり忘れてしまったのであればそれはそれで結構ですし、実は死者にとってもそのほうが有り難いでしょう。

 

死者は死者でもし死後の生活があるのなら、そちらのほうが忙しいはずで、後から懇ろに供養されても、「アイツらは俺が現世にいるときには散々冷たくしたクセになにを今更しおらしく・・」と怒っているのではないでしょうか。

 

葬儀のあり方を変えるのであれば、それに対応した死生観をしっかり持つべきで、それが持てないのであれば、あまり負担にならない程度に伝統的な方法に従っておくべきだと思います。何も直接郷里の墓まで行く必要はないわけで、自宅に仏壇やメモリアル祭壇があれば良いだけです。

 

 なお、私は10年ほど前までに某寺院の檀家(単にその寺に骨堂がある)でしたが、離檀して近傍の合同墓に納骨してあります。

 

晴れて無宗教となったので、自宅には手造りのメモリアル壇を置いています。古い小さなテーブルの上に、白いテーブルクロスを敷き、その上に花と写真とランプと可愛らしい香炉を飾っています。

 

もうすぐ、お彼岸なので一応合同墓に墓参に行く予定です。その程度で良いかなと思っていますし、そもそも格式のある家系でもないので、特に問題は起きていません。