ミュージシャンとリスナーの超えられない溝(曲名とか名曲とか)
プロ/アマチュア問わず数名のミュージシャンとの交誼をいただいているのですが、ミュージシャンとリスナーとの考え方がこんなに違うものだという例をまとめてみます。
その1 自分の曲名を覚えていないミュージシャンが多い件
ライブのMCを聴いていると、「ただいまの曲は、えーと、あれ?(と言ってセットリストを見に行く)」例を多く見ます。
音楽にもよりけりなのですが、演奏のみのミュージシャンにとって曲名はどうでもよいということが多々あるようで、実際に演奏する人たちはコード進行なり、中間部の盛り上げ方なり、考える事が多くあるので、曲名にかまっているヒマはないというのが実態のようです。
リスナーにとっては、曲名こそが命ですし、ポピュラー・ミュージックなどはイケてない曲名だと売上が悪くなりますので、作曲者も相当もったいつけた曲名を付けるのですが、その曲名の意味を問われるとなにやらそれらしいことを云わねばならないので、極めて苦痛であるようです。
私の大好きなオランダのバンド「フォーカス」は、そうしたもったいつけた曲名を徹底的に避けていることで有名で、かなりの力作とされているこの曲なんかは曲名がありません。
その2 自分の公式音源を一切持っていない件
全員ではないのですが、「サインしてください!CDショップに行く時間もないし、行っても在庫切れのことがあるので、お持ちのCDにお願いします」と言うと、「いや、実は自分の公式音源は持っていないので、CDショップでお買い上げください」という例がよくあります。
一方で、流通を介さずにライブ会場で手売り限定にしているミュージシャンもいますので、この件は謎です。
その3 本人にとっての「名曲」とリスナーにとっての名曲」はまったく違う件
ヘレン・メリルというジャズ・ヴォーカリストがおり、この人は「ヘレン・メリル ウィズ クリフォード・ブラウン」という50年代の名盤だけがダントツ大人気という人で、おかげでこの曲はこのアレンジが最高峰!ということになっています。
この方は、何度も来日して当然インタビューも受けているのですが、はるか昔の名盤などはどうでもよく、自分が「これが最新かつ最高だ」と考えている音源のことを語りたいのですが、インタビュワーのほうは、この名盤の制作秘話のようなことばかり尋ねるので不興を買うということがありました。
人間の五感の中では聴覚がもっとも保守的だと云われており、新奇なものを受け入れないことや、世俗人気曲が名曲とは限らない(バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」がバッハ研究者の間では評価されていないことに好例を見ます)ことなどがあげられるようです。
その4 ミュージシャンが「やっている音楽」と「好きな音楽」はしばしば全く違う
演歌の藤あや子さんは、ご自身はアメリカのロックバンド「エアロスミス」の大ファンとのことです。
そのほか、松任谷由実さんはローリング・ストーンズが来ればライブに行くといった例があって、ご自身がパーソナリティを務めるFM番組で嬉しそうにそれを話したら、リスナーは「なにそれ?」という反応だったり、これは世代的なマスト(必ず通過している音楽)である場合もありますが、自分が演奏できない音楽だから好きという場合もあるようです。
さすがに、自分以外の音楽に興味がないということはないと思いますが、大御所筋が「◎◎というミュージシャンは素晴らしい」と褒めると、すぐに「あの◎◎も絶賛」という形で利用されてしまうので自粛して言わないことも多いようです。
そして、自分の曲名はしばしば忘れていても、自分が絶大リスペクトするミュージシャンの曲名は全部覚えているのも当然のことでしょう。
ほか、なにかあればコメントください。ミュージシャンのみなさま
【天赦日の正体】神殺星占い
新年あけましておめでとうございます。
さて、東洋占星術には「神殺星占い」というものがあって、あまりアテにならないから参考程度にとどめておくようにと習うのですが、分かりやすくて、全部ではないのですが、割とよく当たるので私は結構使っています。
神殺星については、次のサイトが詳しいです。
近年、「宝くじを買うには天赦日が良い」と云われていますが、この「天赦日」というのも、この神殺表の中にあります。
天赦日の象意は「一生暮らしに心配なし。」とのことですから、確かに宝くじにピッタリな日ではありましょう。
さて、私は実はここで云われている「天赦日」になる「秋の戊申」日生まれなのですが、もちろん金持ちではないものの、親が倹約家で。自分も就職してそこそこの給料をもらって、それほど贅沢をしなかったため、確かに暮らしに心配をしたことがないと思います。
ただ、年末ジャンボ宝くじの一等と前後賞を併せて10億円などという大金をもらって、それで一生暮らしに心配がないかどうかは甚だ怪しく、分別盛りの大人であっても持ち付けぬ大金を持つと、あっという間にスッカラカンになるのがオチでしょう(笑)
分をわきまえるという基本を忘れなければ、なかなか良い日であることに変わりはないと私は思っています。
<開運占いのご用命はコチラ>
焼肉&ビール食べ呑み放題でモトを取っていく人たちの件(イッキ呑み厳禁)
忘年会シーズンにつき、あちこちで飲酒の機会が多くなるわけですが、こんな悲惨な記事を目にしました。
これは一般的な飲み過ぎではなく、「飲み方がわからない」の類で、中学高校と勉強一筋だった子にありがちなことです。
せっかくなので、急性アルコール中毒死をはじめとした、あらゆる酒害根絶の一助になればという思いで、私が学生時代にアルバイトをしていた「焼肉&ビール食べ飲み放題」の店で、モトを取っていくどころか店に赤字を出していくとんでもない人たちの話を書きたいと思います。
「◎◎大学(わりと偏差値の高い大学)の◎◎部(おおむね体育系サークル)新歓コンパ」という宴会が入ると、店側は警戒度マックスとなります。
彼らは、最初の乾杯は普通にやるものの、その後、「新入生は全員ビールイッキ3杯やってからウサギ飛びでホール一周!!」とかいうようなバカなことをやります。
こういうことをやると、まず人間は30分もしないで気分が悪くなり、トイレで盛大にリバースします。
常識人ならば、「まぁまぁお遊びはこの辺で」と抑えるのですが、大学生の場合、トイレで吐いてすっきりして、また飲んで食って吐いて、またイッキをやって」を繰り返すものだから、食べたものも飲んだものも、腸にまで達せず、胃袋に入れてすぐにトイレで戻すということになります。
一般に飲食店の下水道配管はそうした大量の吐瀉物を処理するようにはできておらず、この状態になれば、間違いなく配管が詰まって、トイレが「ゲロクソ・ファウンテン状態」となります。
そのトイレの掃除をするのが、私の仕事のひとつだったのですが、そのときにチーフ(アルバイトなのですが一応、原価計算もやれる人)が呆れ果てて
「アイツら何しにきたんだ??店は赤字だし、トイレはグチャグチャだし、自分たちはヘロヘロだし誰もいいことないぞ!あんなヤツら出入り禁止にしたほうがいいんじゃないか??」
とこぼしていました。
実際に私もそう思うのですが、飲食店である以上、まさか「◎◎大学お断り」と張り紙をするわけにもいかず、まず、泣き寝入りになります。
それでも、「救急車を呼ぶ事態にならなかった」だけ、まだマシなのでしょう。
急性アルコール中毒も恐ろしいですが、吐瀉物を喉につまらせて窒息死というのもありえます。
同じ新歓コンパでも、「△△大学(かなり偏差値の低い大学)」ではこういうことにはならず、彼らは酒の飲み方については中学生くらいから練習しているらしいので、大学生になったときには、下手な社会人よりも大人な飲み方をしています。(笑)
決して未成年飲酒を勧めるわけではないのすが、「飲酒塾」のようなものを早いうちにやっておけばよいのではないかと思います。
上に紹介した話は、何十年も前のお話ではありますが、決して根絶されたわけでもないと思いますので、酒は飲んでも飲まれるなの以前に、
口から飲み食いしたものは腸にまで送り込んで下から出しましょう。
汚い話で失礼しました。
(予想)紅白歌合戦 特別コーナー「戦後70年」を歌う シナリオ
まもなくNHK紅白歌合戦が開催されてお年越しになるわけですが、11月下旬に水木しげるさんが、12月上旬に野坂昭如さんが逝去され、いわゆる「戦争の語り部」(とは言っても、反戦平和運動をやりたい戦後世代からのオファーに答えてのことだと思いますが)二人が亡くなったことで、およそ戦争を憎み平和を希求すること人後に落ちないNHKは、いまごろ大慌てでシナリオを書き換えている思います。
この企画が潰れるかもしれません。
これといったニュースがないのであれば、場つなぎ用の芸人がバカバカしい芸を披露するところですが、こうしたものは全部カットされて、次のような特別コーナーが設けられると思いますので、そのシナリオを書いてみました。
(総合司会)
戦後70年目の今年、戦争の悲惨さを語ってきた偉大な人が相次いで亡くなりました。
ひとりは、NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でお馴染みの水木しげるさん、もうひとりは、映画「火垂るの墓」でお馴染みの野坂昭如さんです。
(ここで、ゲゲゲの女房に出演なさっていた、松下奈緒さんと向井理さんが登場して、ドラマの思い出や、水木しげるの思い出などを語る)
その後
(総合司会)
70年前のあのとき、私たちは二度と戦争をしないという誓いを心に刻みました。次世代に語り継ぐ不戦の誓い! 第66回紅白歌合戦 戦後70年 歌は、いきものがかり「ありがとう」です。
当然、全員で歌いますw
さて、当たるかどうか。結果は12月31日にわかります。
ビートルズが苦手なワタシの「ビートルズ・マイ・ベスト」
私が「ビートルズをほとんど聴いたことがない」と言うと、ご同輩の大半が「知らねーの!??」と驚きの声を上げることが多くあります。
その理由について、彼らの活動期である1960年代には、幼い、或いはまだ生まれていないなどの理由で聴けないかったということもあるのですが、音楽評論家の渋谷陽一氏が指摘するように、「日本でビートルズが広く知られるようになったのは、ロックが商業ベースに乗るようになった1970年代後半以降だ」ということが最大の要因です。
その頃には、レッド・ツェッペリンもキング・クリムゾンもパンクもニューウェーブも全部同時に受容できる状態だったので、いくつもある選択肢の中にビートルズが存在しなかったというのが実際のところです。
それであっても、有難迷惑なことにアルバムを貸してくださるクラスメートに促されて、渋々聴いた曲の中から、「これは良い曲だ」と思った10曲をマイ・ベストとして書いてみます。
1 All You Need Is Love
Love Is All You Need - Beatles - YouTube
ラ・マルセイエーズの引用、変拍子、バッハの曲の引用、自分たちの旧作の引用など、さまざまな試みが盛り込まれているところが好きです。(ポールの曲であるらしいです)
2 Within You Without You
Within You Without You -The Beatles(George ...
インドのグルのところに弟子入りに行ったものの何一つ得るものはなかったとされていますが、ジョージ・ハリソンだけはしっかり影響を受けて帰ってきた成果がこれです。
見方を変えれば、30年早いWOMADとも言えます。ジョージの曲です。
時代の反映でサイケな曲ですが、数多あるカバーバンドが絶対にカバーせず、801バンドとかネオサイケ/テクノ系のバンドがよくカバーしています。ジョンの曲であるらしいです。
4 I'm only sleeping
自分でも好きな理由がわからないですが、きっとギターソロのテープ逆回転が好きなんだと思います。誰の曲でしょう??
5 Revolution9
これは実質オノ・ヨーコの作品になると思いますが、まぁ現代音楽的な曲です。
10曲と言いつつ、5曲しか出てこなかったのですけど(笑)、知人のビートルズマニアが割りと冷静に語るところによれば、ビートルズが偉大な所以は、斬新な楽器の用法に斬新なスタジオワークにあるらしく、その意見には私も同意なのですが、ジョン・レノンが"Dream is over"といって隠居してしまったので、それもどこか白けた感じになります。
よって、私は永久にビートルズマニアにはなれず、中学高校の同級生ともその話になると聞くだけになっていますが、ご縁がなかったのでしょう。
まぁそのようなわけで。
《繰り言》ニッポン限定 マル・ウォルドロンとジャッキー・マクリーンのクリスマスディナーショー(笑)
日本における洋楽受容の歴史は、仕方がないことではありますが、レコード中心です。アメリカなりヨーロッパなりでミュージシャンがリアルタイムでやっていることと、日本での洋楽文化で盛り上がっていることとが相当に異なるため、なにかと珍事が発生いたします。
その一例として、モダンジャズ名盤100枚とかいう企画をやったら必ずエントリーする作品の一つである、マル・ウォルドロン名義でジャッキー・マクリーンが加わった「レフト・アローン」騒動が挙げられます。
1980年代後半、プラザ合意後のバブル騒ぎで、金の使い道がなくて困っている善男善女にお金を使っていただくべく、「あの名演 レフト・アローンを日本でもう一度!」の珍事を記憶しているので、書きとどめておこうと思います。
<その1 マル・ウォルドロン編>
マル・ウォルドロンというピアニストは、技巧はともかくタッチが「重い」「暗い」「黒い」ことで知られる名人で、その方を日本にお招きしてディナーショーをやってしまったあたりが困りものです。
とは、言いつつ私がどういうわけかそのディナーショーに行ったというちょっと気恥ずかしい記憶からの抜粋です。
彼のピアノが重々しく「♪ジングルベル」のワンフレーズを弾き、わりと適当なステーキディナーに、別オーダーのワインを飲みつつ、これがオシャレというものだろうかと首を傾げながら、ひととおり聴きました。
もちろん、レフト・アローンは演奏せず、確か自作曲半分、スタンダード・ナンバー半分というセットリストだったはずです。特にデューク・エリントンの曲が多かったと記憶しています。
なお、飲み食いしながら演奏を聴くことが悪いとは思っていません。同じくマル・ウォルドロン参加でエリック・ドルフィーの名作のひとつとされている、「アット・ザ・ファイブ・スポット VOL1 VOL2」も、おおむね同じような状態で録音されています。
ただ、あまりクリスマス向きの音楽ではないなぁとは思います。
<その2 ジャッキー・マクリーン編>
こちらもクリスマスでしたが、かなり狭いジャズ・クラブでの演奏でした。
ジャッキー・マクリーンというアルト・サックス奏者は、日本ではリーダーアルバム以外のところで有名な人で、チャールス・ミンガスの「直立猿人」とソニー・クラークの「クール・ストラッティン」(ソニー・クラークも日本だけの人気のようです。)そして、「レフト・アローン」が日本での三大名盤とされています。
よって、セットリストの中に知っている曲はほとんどなく、聴衆も酒とおしゃべりに夢中でしたが、演奏が終わって袖に引っ込むと、一斉にアンコール大合唱。
もちろん「レフト・アローン演奏してね」という意味です。
予定どおり出てきて、本人のソロで「ものすごく適当に」テーマフレーズを吹いて終わりです。
お二方ともに、「レフト・アローン」の演奏には乗り気ではなく、これは一般ピープルの私が、カラオケに行って「たまたまその歌を知っている」というだけで毎度同じ昔の曲を延々リクエストされるのが苦痛であるのと同じでしょう。
そのお二方を拝み倒して、高額のギャラを払って再演していただいたのが、この映像資料です。
そして、その世評はといえば「オリジナルに到底及ばない気の緩んだ演奏」とのことで、それは最初から分かっていたことなのですから、要するにムダ金だったという結果です。
マイルス・デイヴィスが「俺の昔のフォービートジャズが聴きたいなんて奴はレコード聴いていれば良いだろう」と発言したのと同じで、レコード文化が暴走しすぎてこんな珍事になったのでしょう。
同じころ、日本ではこんなことになっていました。(笑)
レフト・アローンをネタにした角川映画「キャバレー」という映画を流行らせるための戦略だったのでしょうが、私にとって、アルバム「レフト・アローン」の白眉は、2曲目の「キャット・ウォーク」という曲です。
私の周辺のジャズファンからもそういう意見が上がっていて、「レフト・アローンは"演歌ジャズ"だけど、キャット・ウォークは素晴らしい」とのことです。
レフト・アローンという曲が崇拝されるのは、この曲を歌ったとされる(録音は残っていません)ビリー・ホリデイ神話の所以だと思いますが、神話というのは後世の人間が死人に口なしとばかりに捏造したものに過ぎないことが多く、そもそもこのアルバム自体がわりと適当なビリー・ホリデイ追悼アルバムだと思います。
iTunesで自由にプレイリストを作れる現在、私がマル・ウォルドロンのリストを作るとしたら、「キャット・ウォーク」「ソウル・アイズ」「ファイヤー・ワルツ」などがメインになるかと思いますし、「レフト・アローン」も悪くないのですが、今回書いたような騒動を思い出すと、なんだか気恥ずかしいという思いがいたします。
そのような1980年代のバカな思い出を書き綴ってみました。
J-POP海外進出して失敗 これは「真珠湾奇襲攻撃成功の夢よもう一度」です
1960年代に坂本九さんの歌う「上を向いて歩こう」が全米ヒットしたのは事実ですが、これをもって日本のポピュラーミュージックが世界に認められたというわけではなく、これは作曲者の中村八大の書いたメロディが素晴らしかったからでしょう。
それ以降も日本国内で大ヒットが出ると、すぐにアメリカ進出を云い出すのは、おそらく1941年12月8日の日米開戦、真珠湾奇襲攻撃成功の夢から醒めていないからだと思います。
私が記憶している失敗例は次の3つです。
(1)ピンク・レディ
日本では「社会現象」のようになって、小・中学生の特に女の子たちが彼女たちの踊りを覚えて歌っていたわけですが、人気絶頂の頃にアメリカ進出を決定。
アメリカのTV事業者との交渉は当然大人たちがやったのですが、この時のピンク・レディの二人は十代後半の若い女性ではあるものの、アメリカ人が見ればおそらく「子ども」に見えたはずです。
どこの国でも子どもが歌って踊るのを見るのは面白いので、そういう趣旨での人気は出たわけですが、おかげで日本国内で彼女たちをテレビで見る機会が激減。
結局、アメリカでは飽きられ、日本でも人気が下火になってそのまま解散。不運なことでした。
いわゆる「ハイテク披露」のテクニカルバンドとして人気が上がり、ついにはジャズ系の国際的なフェスティバルである「モントルー・ジャズ・フェスティバル」に出演するに至りました。
マイナーなステージではあったのでしょうが、メンバーにとってはこれ以上ない名誉だったはずで、ガチガチに緊張して痛恨のエラーを出している様子がYouTubeに残っています。
この人たちも、やはり人気に便乗してアメリカ進出を行いましたが、アメリカ人プロデューサーの意向でヴォーカルを起用した曲を発表しました。
なかなか良い曲ではありましたが、実は、こういうAOR的な曲ならアメリカにはたくさんありましたから、わざわざ日本人がアメリカに行って演奏する必然性もなく、肝心な日本のファンがドン引きして国内人気が急下降。
そのうち、メンバーが分裂して別ユニットを結成したりして、なんとなく休眠に入りました。
(3)X-JAPAN
楽器演奏はそう悪くないと思いますが、やはりヴォーカルがダメだったようです。
外国人に日本のロックを聴かせると、イントロの段階では「ふむふむ」と聴いているのですが、歌が出たとたんにずっこけることが多いようです。
たとえば、彼らの曲ではありませんが、次のような歌詞があります。
もてあましてる frustration
Youve got an easy day
英語と日本語のごちゃ混ぜのうえに、1970年代に桑田佳祐が開発した巻き舌日本語の多様と、実際の英語が混交した結果、何かの人工言語のように聞こえるということです。
アメリカ人が、Love me Fujiyama Call me geisha aishiteru と歌ったら、日本人が腹を抱えて笑うのと同じことです。
要するに、
どう考えても珍妙な音楽を引っさげてアメリカ進出をするから失敗するのは当然
ということです。
日本でヒットした曲にまったく別の英語詞を乗せて、奇跡的にうまくいったとしても、それはアメリカにたくさんあるポピュラーミュージックの一部にしかなりませんから、それが大ヒットするなど夢のまた夢ではないかと思います。
戦前まで日本の大衆音楽に大きな影響力を持っていたのは、アメリカ音楽ではなく、フランスのシャンソンです。もちろんジャズもありましたが、それは踊るための音楽であって、日本歌謡への影響力はシャンソンのほうが大きかったようです。
シャンソンといってもいろいろなのですが、たとえば武満徹が心底惚れ込んだという、リュシェンヌ・ボワイエ「聞かせてよ愛の言葉を」は、このようなメロディです。
現代のフレンチポップ(といっても、80年代の曲ですが)、ジャンヌ・マスの「
Johnny Johnny」という曲はこのようなメロディです。
どちらも、日本人に受け入れやすいメロディだと思いますが、これはシャンソンがダンスを前提とせず、歌うことを前提とした大衆歌謡だからでしょう。
日本の大衆音楽には、そこかしこにシャンソン風味が残っているものが多いように私は思います。
真珠湾攻撃は軍事作戦でしたから、それは最大限の努力をして避けるべきでしたが、音楽の奇襲攻撃は全く問題がないとはいえ、You Tubeで出した音源がシェアされてアメリカで話題になったら演奏しに行くというのが丁度よいと思いますし、アメリカ人をJ-Popの前に屈服させる必要などまったくないと思います。