述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

私的平成史(平成の世に現れて平成の世に消える予定のもの)前編

時代や世代を語るのに、もはや元号はあまり意味がなく何か特別な事情がない限り西暦で呼び習わしたほうが便利であるとはいえ、かりそめにも國體が護持された以上、元号をやめるわけにもいかないので、「平成の世に現れて平成の世に消えていくもの」を中心に、自分の思うところを語りたいと思います。

 

湾岸戦争(平成2年 1990年)

イラクをのクウェート進出に伴いアメリカを中心とした多国籍軍武力行使に踏み切った際、日本がいかにして国際協力を果たせるのかという課題が重くのしかかった事件でした。

 

当時は、自衛隊の海外派遣に先例がなく、戦後復興の際には民間有志を募って現地入りするべくそのための極秘リストが作られているのではないかという噂がさかんに立てられましたが、それは杞憂で、結局カネだけ出して感謝されずという、直接には外務省の失態でした。もっともいわゆるバブル景気で浮かれていた日本人には馬耳東風でしたが。

現在は、ひとまず自衛隊が海外派遣に行くことに関しては法的な問題はクリアしているようなので、あとは個々人の信条で賛成か反対かがあるだけです。

平成米騒動(平成5年 1993年)

記録的な冷夏によるコメの不作に便乗したかなり作為的な騒動。

 

米価は秋口から少しずつ上昇を始めた。細川内閣9月、260万トンタイ王国中華人民共和国アメリカ合衆国から「緊急輸入を行う」と発表した。

しかし当時は、日本人がいわゆる和食の原点回帰や、食生活・食料品の安全などに強い関心を向け始めた時代でもあり、ポストハーベスト農薬など、輸入農作物に対する不信感も根強く、輸入米に対しての警戒心も消費者に見られた。

日本産のジャポニカ米は根強い人気のため、また市場の品薄感もあって、買い占めと売り惜しみが発生、米屋の店頭から「米が消える事態」にまで発展する。1994年(平成6年)の年明けには米屋の前に行列が延々と続くなどの社会現象が発生した。

 

1993年米騒動 - Wikipedia

騒いだのは主として当時の50歳以上の人たちであって、若い人は「コメがなければパンでも蕎麦でもパスタでもあるでしょう?」といたって冷静。

特にタイから輸入したインディカ米の独特の匂いは和食には不向きで大不評。タイの皆さんには大変失礼なことをしました。今ではジャンバラヤにして食べたり、タイカリーに使ったりしてちゃんと堪能しております。

 阪神淡路大震災とオウム地下鉄サリン事件(平成7年 1995年)

バブルの余波の浮かれ気分を一気に吹き飛ばした大事件。この頃、団塊ジュニアがボチボチ社会人になりだすも、就職氷河期も始まりつつあり、時代の空気が一変した年となりました。

 

Windows95とインターネットブーム(平成8年 1996年)

それまで「マニアの高価なオモチャ」とされてきたPCが急速に普及。主な用途はウェブ閲覧とメールと年賀状作成。また、ごく初期にはMicrosoft Word Excelがプリインストールされていたため、Excelで仕事の効率化を図ろうと切磋琢磨したのは良いですが、仕様の悪いファイルが量産されたため、逆に生産性は下がったと思います。

 

スマオートフォンとタブレット全盛の現在、未だにこういうものが蔓延っていますが、次の元号にはPCもExcelも廃れるでしょう。

前任者の作るエクセルのファイルが酷い : キャリア・職場 : 発言小町 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

音楽録音メディアの盛衰(1990年台~現在)

稼ぎの大半を音楽ソフトにつぎ込んで良いという人は別として、大抵の人は限られた予算の中で音楽ソフトを買い、なおかつ聴きたいものがある場合にはラジオのエアチェック(死語)や音楽ソフトのダビングで楽しんでいました。

LPレコードの時代には、カセットテープが主流でしたが、その後、CD時代と並行するようにヒスノイズが低減されたMD(MiniDisk)が登場。プロ向けの録音メディアはDATという布陣になりましたが、MDは日本以外では普及せず、PCの登場ととともにCDへのコピーまたはハードディスクへの取り込みが主流となり、MDもDATも市場から退出してしまいました。

CDのコピーを不可能にするCCCDなるものもありましたが、MDもCCCDAppleiPodが駆逐。

timesteps.net

そして現在、音楽は配信で聴かれるようになり、もはやメディアを必要としなくなったようです。

 Y2Kノストラダムス予言(1999年 平成11年)

コンピュータの日付が西暦下二桁で管理していることによって、ありとあらゆる機器が2000年になると時間が100年前に戻り、航空機が落ちたり、原子炉が爆発したり、インフラが止まったりするなどという風説が流れました。

同時に、1999年の7月に人類が滅亡するというノストラダムスの大予言がいよいよ間近に迫り、他方でミレニアム祭りの準備が行われるという、世にも珍しい年になりました。

スーパーでは乾電池や乾パンが売られており、非常時気分を盛り上げたものの結果は何もなし。個別にY2Kの異常動作は起きていましたが、それはシステムを廃棄するなりなんなりの代替措置が取られていたようです。

Y2Kの不安を煽っていたのは、ITエンジニアではなく何ら提案能力のないIT営業がネタ切れの苦し紛れに吹聴して歩いていたような実態だったようで、その人達は現在凝りもせず「IoT時代に向けての情報戦略は立てていますか」とか「ビッグデータ活用に乗り遅れていませんか」とか「改正個人情報保護法の対応はお済みですか」などという不安商売に精を出しているものと思われます。