述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります

<現代音楽入門書>こんな書籍にお世話になりました

「現代音楽」という、そもそも定義が困難でありながら一ジャンルを形成している音楽を聴いてすぐに感動できたという方は稀だと思います。しかし、もし少しでも興味が湧いたというのであれば、すでに感動の入り口に立っている状態でしょう。

ただ、闇雲に聴けば良いというわけではないので、「入り口に立っている人々」向けのいろいろな入門書が存在するわけです。

自分もそういう経験を経て、現代音楽に親しめるようになりましたので、その過程でお世話になった書籍を紹介してみたいと思います。

 

1 「現代音楽を読む」(ホアキン・M.ベニデズ)

現代音楽を読む―エクリチュールを越えて

現代音楽を読む―エクリチュールを越えて

 

 少年時代に出会ったバイブルのような本です。とはいっても、現代音楽を網羅的に紹介しているわけではなく、50年台~60年台における「管理された偶然性(アレアトリー)」「偶然性と不確定性の違いとその実践例」「現代音楽における即興の意義」についてかなり多くの作品例を紹介しています。


副題が「エクリチュールを超えて」とあるように、現代音楽における記譜はどうあるべきかということが主題になっています。

この本で紹介されていた作品
・ツィクルス(シュトックハウゼン
・ルフラン(シュトックハウゼン
・シュピラール(シュトックハウゼン
ピアノ曲Ⅺ(シュトックハウゼン
・7つの日より(シュトックハウゼン
・イマジナリーランドスケープ第4番(ケージ)
・HPSCHD(ケージ)
ほか

 

2 NHK電子音楽スタジオ記念番組(FM放送)

これは本ではなくFMラジオ放送です。NHK電子音楽スタジオの撤収に伴う一種の追悼番組ですが、数回に渡って戦後の音楽と電子音楽勃興の歴史を紹介していただきました。

電子音楽は生楽器では不可能な音色のセリーを実現できるという期待をもって実践されたため、ミュージックコンクレートと電子音楽はまったく来歴が異なることなど大変勉強になりました。

3 電子音楽・インジャパン(田中雄二

電子音楽in JAPAN

電子音楽in JAPAN

 

 
電子音楽というものを、「なんらかの電子的装置を用いて実現する音楽」と大雑把に定義すると、黛敏郎らの初期電子音楽冨田勲シンセサイザーYMOのテクノなどが同時に挙げられることになり、そうした現代音楽~ポピュラーの分野までカバーしてくれる良書だと思います。分厚い本なので読了が大変ではあります。派生書籍もいくつかあります。

 

4 はじめての<脱>音楽 やさしい現代音楽の作曲法

はじめての<脱>音楽 やさしい現代音楽の作曲法

はじめての<脱>音楽 やさしい現代音楽の作曲法

 

「作曲法」と銘打っていますが、これは親しみを持ってもらうための修辞だろうと思います。2018年刊行なので50年台のセリエリズムから60年台のフルクサス運動、ミニマル、スペクトル音楽まで網羅されていますから、入門には良い本だと思います。

ただ、音楽家が書いているせいなのか譜例が多くなりがちで、譜面を見ても音がイメージできない一般ピープルは少々困るわけですが、可能ならば誰かがこの内容をYou Tubeに実際の音や解説とともにアップしてくだされば、市民大学のような場でも使えるのではないかと思います。

5 NHK現代の音楽西村朗

これもFM番組。
時間枠が50分しかないとはいえ、昭和の昔から続く長寿番組です。昭和の時代には「我は前衛也」といったいかめしさがありましたが、昨今はそういうこともなく西村先生の平易な解説もわかりやすいですし、過去の巨匠作曲家から日本の若手作曲家まで広範に紹介してくれるので、私は毎週欠かさず録音して聴いています。

 

6 時間の園丁ほか(武満徹

これは音楽解説本ではなくエッセイ集です。武満徹の音楽の独特の響きを指して「タケミツトーン」と呼ばれることがありますが、この方は文章までタケミツトーンになっているという意味で、音楽の一節を聴くように読んでいました。

 

7 (おわりに)レコードコレクターにならなかった自分の幸運

一般に中学高校生時代はとかく小遣いが限られていますので、レコードを買うのは年に数回で、自分が持っていないレコードはクラスメートから借りてカセットに録音して聴くという、おそらく多くのご同輩が歩んできた道を私も歩んできました。

ただ、彼らはいろいろな音楽が聴きたいのではなく、「レコードが欲しい/集めたい」ので、レコードにまつわる思い出とか、ジャケットのデザインや触ったときの感触とか、付録ポスターとか、針を落とすときの感動とかいうものが重要だったわけですが、私は音楽それ自体しか興味がありませんでした。

だから、ある程度聴いたものは一応カセットに録音しておいて、すぐに中古レコード店に売り払い、得た金で別のレコードを買うということを繰り返してきました。

手元に残った音盤はほとんどありませんが、その分さまざまな音楽を吸収できたと思います。

現在、音楽は配信に移行しつつありますが、音盤には必ずついているライナーノーツなるものがなくなったので、あまり信用ができないWikipediaを参照するしかなくなりました。

その分、音楽書のニーズが高まったとも言えるので、今後とも現代音楽の良書が出てくれることを願います。

 

北海道大地震から一ヶ月 ブラックアウト直後の大騒ぎをまとめました

2018年9月6日未明に起きた平成30年北海道胆振東部地震は、震源に近い厚真町で甚大な被害が起きたほか、札幌市内でも地盤の緩い箇所の液状化や道路寸断が起きました。

復旧は行政によって行われるでしょうが、本日ちょうど一ヶ月目を迎えましたので北海道全域停電(ブラックアウト)直後に起きた、市民のパニックや流言飛語などを書き綴ってみます。

 

1ガソリンスタンドに3時間並んでハイオク10リットルを入れてきた人

車での移動が欠かせない人は、電力が復旧すると同時にガソリンスタンドに殺到し、すでに交通規制を敷かねば危険なレベルの長蛇の列。

とある男性、ガソリンスタンドに3時間並んで、自分の番が来たときにはすでにレギュラーガソリンは売り切れ、仕方がなくハイオク(給油制限で10リットルまで)を入れて帰ってきたそうです。

これは翌日になるとちゃんとタンクローリーが補充に来て通常通りの給油制限なしの営業になるも、すでに多くの人が給油したためスタンドはガラガラ。3時間を無駄にしてしまった気の毒な人の話です。

 

2コンビニに最後まで在庫があったもの

電力復旧とともにコンビニに殺到した人が買い求めたのは、電池とスマホ用充電池、そしてミネラルウォーターと長期保存の効く食べ物(カップ麺、スナック、缶詰など)です。

最後まで在庫が残っていたものは、「お酒」と「激辛スナック」でした。

 

3 なぜかトイレットペーパーを買いだめしていた人

1973年11月の第一次オイルショックは、一般にはトイレットペーパーや洗剤の買いだめで大混乱したということで歴史に残っていますが、どのみち断水すれば洗濯はできませんし、家族構成にもよりますが男性は女性に比べてあまりトイレットペーパーを使いませんし、どうしても買いだめしたければAmazonパントリーでオーダーしておけばよいはずです。

況してや、オイルショックのときのような狂乱物価とセットになっているわけではない(オイルショックのときは、次に品物が店頭に並んだときにはもう値上がりしていました)のですが、どうしたわけかパニックになると身体に近い部分の商品を買い占める傾向があるようです。

4 計画停電の噂

損傷した苫東厚真発電所が回復するまでは、計画停電が実施されるというのは一応「可能性」として云われていましたが、エレベーターが止まると生活に支障をきたすタワーマンションにお住まいの方は厳重警戒モードになっていたものの、幸いにしてそれは回避されたようです。

もっとも、これから電力需要の増す冬に向かいますし、強度の余震でまた何が起きるかわかりませんから、北海道民は皆警戒モードになっていますし、公共施設では未だに節電が続いています。

5 地元マスコミの傍若無人

土砂に巻き込まれた両親の息子に「おとうさーん おかあさーん 返事をしてよー (号泣 )」という下手なヤラセ演技をさせていた地元テレビ局。

おそらく金をつかませたんだと思いますが、こんな非道なことを平気でやったうえに、立ち入り禁止区域に堂々と乗り込んでカメラを回していました。二次災害に巻き込まれて帰れなくなって一緒に避難生活でもすればよいと思いました。

 6 液状化の現場に写真を取りに行く人

液状化の現場というのはリアルではそう見れるものではないから、実際に見たい気持ちはわかりますが、あろうことか傾いた家の前でピースサインをして写真を取り、SNSにアップしている人がいたようです。とんでもないことです。

 

 7 近づく冬 今年の北海道

もうすぐ冬支度の買い物をしだすシーズンなのですが、電気がなくても暖が取れる電池式石油ポータブルストーブは、すでに在庫切れで入手は不可能な状態が続いています。

8  おまけ(熊本産フェアの話)

電力復旧直後の品薄なスーパーで、どういうわけか熊本特産品フェアをやっていました。同じ被災地同士で励まし合おうという趣旨なのか、偶然なのかわかりませんが、せっかくですから辛子蓮根でも買っておけばよかったです。

そのほか、学校が休校になって、大人たちがスーパーに行列を作っているのを見て小学生の男の子が大はしゃぎしていました。お母さんは「はじめての停電、そんなに楽しいかい?」と声をかけていたのが微笑ましかったです。

 

 

 

 

 

 

低音デュオセカンド・アルバム「双子素数」の感想

チューバ(orセルパン)とバリトンによるユニット 低音デュオの第2作目が3年ぶりにリリースされたので、早速購入鑑賞をいたしました。今回も早速感想を書いてみたい思います。

双子素数

双子素数

 

 

前作「ローテーション」は、中世~ルネッサンス音楽と現代音楽から選曲されており、どちらかというと女性的(中世~ルネッサンス音楽が女性的かどうかは異論がありましょうが)な面もあったのに対して、今回は現代音楽のみ、既知曲なし、武満ソングのような大衆受けのする曲ももちろんなしで、より男っぽくなった(?)印象です。

 

ローテーション

ローテーション

 

ちなみに、iTunesCDDBによるジャンル分けは、「ローテーション」が"Pop"で「双子素数」が"Classical"となっています。もちろん正しいとか間違っているとかではないのですが、そういう世間のイメージになっているようです。

 

楽曲

○感情ポリフォニー

「感情についての説明」がテキストとして用いられており、音楽それ自体はその感情とはあまり関係がないところが面白い曲です。この曲で驚くのはチューバの橋本さんが語りと演奏を頻繁に切り替え、中にはマウスピースに唇を当てたまましゃべっているらしき部分もあり、ボケっと聴いている分には楽しい曲なのに、演奏はおそらく相当に至難なのだと思います。オイ!(やや喧嘩腰)、オーイ(呼び声)、エ?(とまどいがち)といった擬音語の感情表現も出てきます。

○高音化低音

今回のCDで一番気に入った曲です。標題だけで想像すればものすごいファルセットを歌うとか、超絶ハイトーンを出すとか、あるいは電子処理するとかなのですが、そういう趣旨ではなかったようです。

まず、二人の息ノイズ。ホワイトノイズと考えれば理論上超低音から超高音まで均等に含んでいるわけです。

そのまま母音唱法を繰り出しながら全休止するときに、金属的な高い音の余韻が残っています。

どうやって出しているのかわかりませんが、ピアノの中に発声しているとか、銅鑼に向かって音を出しているとか、チューバのベルの中に発声しているとかではないかと思います。

そのまま母音唱法を繰り出しながらだんだんホーミー的な和音が聴こえだし、見えない高音のようのものが現れ、あるいはうっかりするとモーグシンセかと間違いそうになるあたりで、かん高い金属打楽器の音が一音鳴って終わります。

 

 ○明日も残骸 しいんと ぼうふらにつかまって

ぼうふらというのは昨今ではあまり見なくなりましたが、蚊の幼虫です。これ以上ないというくらいに軽く水面に浮かんでいるのですが、この「ぼうふら」「残骸」「しいんと」というテキストと音楽のもたらす荒涼とした不安定なイメージは、どこか懐かしい響きがする不思議な感覚に襲われました。

これは私の幼少期の思い出に繋がるのですが、それをここで書いても詮無いことなので、とにかくそういうノスタルジーを誘う作品に聴こえました。

○児童鯨

トランペットで馬のいななきができるのなら、チューバで象の鳴き声もできるのではないかと漠然と思っていたのですが、小型の鯨の鳴き声を音楽で模倣した作品だそうです。

mmmmmmmmmmmmm...............という高音の鳴き声、コポッコポッというチューバの音などが散りばめられていて可愛らしい曲です。

○他の2曲

「ジョルジオ・デ・キリコ」と「双子素数」は、何度聴いても「現代歌曲」にしか聴こえず、積極的な感想が出てきません。申し訳ないです。

松平さん参加のユニットとしては、この低音デュオのほかに双子座三重奏団というのがあり、こちらはまだCDは発売はされていませんが、コンサートには一度行ったことがあります。

一方、低音デュオのほうはまだ実演に接したことがないので、機会あればぜひ出向きたいと思います。(地方在住の悲しさよ・・・・)

 

前作も今回の作品も同じですが、ややグレードの高いオーディオで聴いたほうが良い音楽だと思いました。(クラシック音楽全般はそうでしょうが、特に低音強調の音楽ではその傾向が高いです。)

Airpodsで聴くと低音がビリビリ云いますので、できればやや性能の良いヘッドホンで聴くのが良いです。

かつての上司に相当コアなオーディオマニアがいて、「50万円のスピーカーで聴くくらいなら5万円の高級ヘッドホンで聴いたほうが良い音がするか」と質問したら、即答で「然り」とのことでした。

せっかくなので、金策ができたら5万円はムリとしても2万円程度のヘッドホンを買ってみようかと思った次第です。

 

 

 

妻との再三の交渉の末に食べ物の好き嫌いを克服した話

「せっかく手間隙かけて作ったのに夫が食べてくれない」とお嘆きの奥様は多いものと思われますし、心中察するに余りあるのですけれども、あまりに酷い偏食は別として、多少の好き嫌いはあって当たり前ですし、作っている妻だって嫌いな食べ物があるはずです。

しかし、栄養があるからとかデトックスになるからとか血液をサラサラにするからとか御託を並べられても、食べたくないものは食べたくないわけですから、あまりに押し付けがましいとこちらもキレて逆襲に出ることにしました。

----------------------------------------------------------------------------------------

俺も嫌いな食べ物は頑張って食べるから君も嫌いな食べ物を食べてくれ

---------------------------------------------------------------------------------------

ということで、次のような交渉にしました。

 

1 僕が嫌いなもの(少なくとも積極的には食べたくないもの)

ブロッコリーやカリフラワー

・生野菜全般(茹でたり焼いたりすれば大丈夫なのです)

・創作料理と称する「代用食」

(「豆腐ハンバーグ」とか「キャベツと長芋のお好み焼き」とかいわゆる本来のハンバーグやお好み焼きではないもの)

・西瓜

2 妻の嫌いなもの

・焼き魚・煮魚全般(特に魚卵や白子がたっぷり入ったもの)

・脂たっぷりの肉

 

3 交渉経緯

(1)僕がブロッコリーとカリフラワーを食べる代わりに、必ず一緒に魚も出して全部食べること(放置しておくとすぐに刺し身を買ってきて誤魔化すので煮魚・焼き魚に限定)

(2)代用食は禁止(豆腐は豆腐として食べればよいので、余計な手間をかける必要はなし)

(3)月に1回は焼き肉の日を設けること

 

この申し出により、妻は「肉は血を汚す」「魚卵には汚染物質が蓄積している」などと言って抵抗しましたが、そういうのはただの言い訳に過ぎないので却下しました。

 

そうしたわけで、今日の夕食もブロッコリーのサラダとサバの切り身が出るようです。

おしまい。

これまでに受診した医療検診のうちなかなか強烈だったのを書いてみます

私は特別病弱だったわけではないのですが、会社の健康診断ではよく引っかかり「要再検」のマークをもらって受診しに行くのですが、今考えると「何もここまで」というような検査を受診させられたので、その思い出を書いてみます。

 

(1)肺カメラ

胃カメラではありません。カメラを胃ではなく肺にぶちこんで病巣を見るのです。ただ単に胸のレントゲン検査で引っかかっただけなのですが、ご丁寧にこんな検査を受けさせられました。

さて、胃カメラはオエッとなりそうな部分(のどちんこなど)に麻酔をブシャブシャかけて麻痺させてからカメラを挿入しますが、肺カメラはちょっと異物が入っただけで猛烈に拒否反応を起こす気管支に麻酔をかけるのです。あまりに物凄い麻酔の量でクラクラめまいがしてきます。そして筋弛緩剤(たぶん)を注射して、体がダルダルになった状態でカメラを挿入します。結果は肺ガンの疑いはありませんとのことでしたが、大変に疲れる検査でした。

現在ではPETという全身の横断面を撮影するお気楽な機械があるようで、肺ガンの発見には効果が高いようです。

 

(2)肝生検

あまりにも中性脂肪値が高いというので、医者のオススメにより受診。これは右のドテッ腹に麻酔をしてそこに検査針を指して肝臓の細胞を取るわけです。

これも肝臓の脂肪が多いという以外さしたる成果もなく、結構な恐怖を味わいました。

 

(3)脳のMRI

 別に痛くも苦しくもない検査なのですが、巨大な検査装置に入れられて狭い空間内で結構な轟音を聴く羽目になるので、閉所恐怖のある人には耐え難い検査のようです。

私はといえば、この程度ののノイズ的轟音は普段から聴いており、メルツバウジョン・ゾーンのような強烈な音楽に比べれば可愛いものです。

とはいえ、定期検診で「異常あり」と言われたら後が大変なので、年に1回のこの検査は結構な恐怖です。

 

(4)眼底出血検査

猛烈に眩しい光を当てられたまま、目を閉じることもできず、医師の云うまま目玉を上下左右に動かすという、なにげに拷問のような検査で、私はこの検査が結構苦手です。

 

(5)インフルエンザ陰性陽性検査

結構多くの人がやらされているはずですが、現状これが一番辛い検査となります。いきなり鼻の奥に綿棒を突っ込まれて涙がボロボロ出るような苦痛を味わうことになりますので、この検査もう少し改善してもらえないものだろうかと常に思っています。

 

以上、つまらない話ではありましたが最近あまり書くことがないので、徒然に書いてみました。

THE鍵KEY(フランチェスカ・レロイ 谷崎潤一郎原作)講演 2018/05/19千住仲町の家にて鑑賞の件

去る5月19日、掲題のオペラを鑑賞してまいりましたので、感想などを簡単に書かせていただきます。

 

francescalelohe.weebly.com

 

音楽の内容と鑑賞場所との相性にまつわる件

音楽学者の岡田暁生氏によると「ある音楽を聴いて感動できなかったとすればそれは演奏内容の以前に聴いた場所が場違いだからである」とのことです。

現代のコンサートホールはなんでも演奏できるようにはなっていますが、やはりグレゴリオ聖歌などは教会で聴いたほうが心に響くでしょうし、ジャズならばブルーノート東京などのライブハウスで聴くのが良いはずです。

もしそうだとすれば、古い日本家屋で「妻」と「娘」が日記を盗み見ている「鍵」の公演は、仲町の家で鑑賞すると実にピッタリだと直感した次第です。

(映画版の市川崑監督「鍵」では、4人は一応会合の場所に顔を出すものの、すぐに自分の部屋に引っ込んだり、「妻」だけ風呂に入っていたりします。)

 

聴きどころなど

「夫」「妻」「娘」「木村(婚約者)」は、それぞれ別の部屋で別の時間を生きていて、鑑賞者は薄暗い日本家屋の中でそれぞれの部屋をのぞき見のようにして見たり(これがまたとてもエロいのです。)、ある場所に座って聴いていると、離れた部屋から別の音響が聴こえてくるといった空間的な効果を楽しむことができます。

「夫」から秘密裏の写真現像を仰せつかった「木村」が写真を並べているシーンを見た後、「妻」の部屋に行くと日記に挟まれたその写真を見つけて当惑してしまいこんでいるシーンは実に見ものでした。

 

遊歩音楽会というもの

今回のオペラのようなストーリーのあるものではなく、さまざまな場所で演奏または行為をやっているのを歩きながら鑑賞するという演奏会を遊歩音楽会と呼ぶらしく、その一つであるらしいシュトックハウゼンの「リエージュのアルファベット」という作品をビデオで見たことがあります。

 

しかし、今回の「鍵」では、むしろ空間的な効果のほうが面白く、私は主に「娘」の部屋の前に陣取って、他の3か所から聴こえてくる音を聴いていました。

気のせいか、聴衆はみな「ぞ~~~~っ」と青ざめた表情で鑑賞していたのが印象的でした。

 まとめ

私は地方在住で足立区は初めての体験。集合場所の神社は千住氷川神社なのですが、千住本氷川神社というのもあるようで、駅員さんに聞いても違いがよくわからないということで、断念してナビ頼りに車片側一車線の道を探索モードで歩いてようやく到達。

足立区はあまり良い評判がないらしいですが、今回の会場に関する限りとても閑静で良いところだと感じました。

汎用的なコンサートホールでの演奏ではなく、場所にふさわしい音楽(あるいは音楽にふさわしい場所)での体験は、一生忘れないと思います。

どうしてプログレから離れちゃったんだろう(市川哲史氏へ)

70年から続く批評系音楽雑誌「ロッキング・オン」のプログレッシブ・ロック(以下「プログレ」)担当(?)市川哲史氏が出版した「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう」を、発売から相当経って読了しました。

市川氏の過去のインタビュー記事を元にプログレの栄枯盛衰を綴った本といえますが、読了と同時に相当熱心なプログレマニアだったはずの自分がどうして今プログレから離れていったのかが明快に見えた気がするので、そのことを書いてみます。

 

どうしてプログレを好きになってしまったんだろう

どうしてプログレを好きになってしまったんだろう

 

 70年台の洋楽シーンの大半は深読みと妄想である

日本での洋楽受容が本格化したのは1970年台半ば以降のことで、プログレもハードロックもパンクもレゲエもごちゃまぜになって情報が入ってきたわけですが、市川氏によればひときわタイトルや歌詞の深読みがひどかったのがプログレです。(歌詞については酷い誤訳があり、それに対しての深読みが増し加わります。)

それに便乗したレコード会社がもって回った邦題とレコードの帯の煽り文句を付けるものだから、「俺達はハードロックファンなんかと違って思索的かつ学究的なんだ」という歪んだエリート意識を涵養させていたというのが実態です。

極端にいえば、自分たちだけが「世界の真理」とか「宇宙の法則」とかに到達できるとでも思い上がっていたのかもしれません。

しかし、それはやはり幻想でしかなく、プログレも音楽のいちジャンルなのですから、次第に幻想が醒めていくと、そこには重厚長大で奇妙な音楽があるだけでした。

 


プログレが失速していった頃に自分は何をしていたのか

1980年前後は「プログレ冬の時代」と呼ばれていて、何もプログレだけではなくロックそのものが魅力を失いつつあったわけですが、その頃、自分はジャズ・フュージョンと並んで、シュトックハウゼン、ベリオ、ケージなどの現代音楽のLPレコードを買うのが楽しみになっていました。

プログレという変な音楽に慣れた耳でも、現代音楽の奇矯な響きはかなりの違和感を与えましたと同時に、それらの音楽には世界の真理も宇宙の法則も何もありません。音楽は音楽です。

また、その「プログレ冬の時代」と同じ頃、現代音楽は調性への回帰(昔に戻ったということではなく、それほど「奥の院」ではなくなったということです。)がありました。

そのほか、キース・ジャレットを擁するECMもありますし、ちょっと情報レーダーを駆使すれば、意欲的な現代音楽やジャズはたくさんありました。

過去の名作と最近のそのような作品の洪水の中で収取選択していくうちに、プログレのことなど忘れていたというのが正直なところです。

 

iTunesSpotifyの衝撃

2001年にAppleiTunesを発表したと同時に、私は所有していた数百枚のCDを全部リッピングして、ハードディスクに格納した上でCDはすべて売ってしまいました。今で言うミニマリストの先駆けですが、ハードディスクは冗長構成にして失うことがないようにする必要がありましたから、大容量とはいえ原始的なRAID装置を必要とするので、必ずしもモノが一掃されたわけではありません。

その後は、図書館やツタヤなどでのレンタルでコレクションを整理していったわけですが、 そうなるとプログレッシブ・ロックもジャズも現代音楽も自分流のジャンル分けが可能になりますので、ビル・ブラフォード、アラン・ホールズワースソフト・マシーンジャコ・パストリアスなどを好みのリストに入れて、一応、少しだけプログレのことも思い出すようになりました。

その後、iTunesにはGeniusと称されるお好みリスト作成機能が搭載されるようになって、あまり自分ではそうしたことはやらなくなったものの、音楽への関心はより増したように思います。

そして、2010年代にはついに配信への移行が始まり、ここにおいてハードディスクは全部廃棄され、2018年現在、私の音楽視聴環境はAmazon FireTVまたはiPadBluetoothスピーカーでSpotifyを鑑賞するだけになりました。

 

そしてプログレはどこに行ったか

プログレはアート・ロックという別称もあったぐらいで、芸術志向が高いうえに触手も長いので、現在どこかの弦楽四重奏団ショスタコーヴィチの全集とプログレを同時に演奏していたり、別の四重奏団がピアソラアルヴォ・ペルトを同時に演奏したりする中、いつでも聴ける「プログレ"名盤"」は名盤の役割を終えつつあるように思います。(名盤の中にも結構存在する「捨て曲」にまで律儀に付き合わなくても良いのですし)

世の中には「プログレ原理主義」なる思想があるらしく、これはクラシックの「ドイツアカデミズムが至高でその他は亜流。現代音楽は雑音」とかジャズの「モダンジャズは50年台に限る」というのと同じ偏狭な発想ではないかと思います。

そうしたわけで、今の私にとってのプログレは懐メロでもあり、今聴いている数多の音楽のあちこちに見出される分子のような存在でもあります。

純粋信仰とかいう堅苦しい箍を外せばより広い世界が広がるでしょう。