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述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります

Apple MacOS sierraとiOS 10に関して現時点の雑考

 

良くも悪くも、「レガシーなものは容赦なく打ち切る」というAppleの方針は今回も遺憾なく発揮され、一方で新機能の目玉らしきものは特になく、「アプリで間に合っているものをわざわざ実装しないでほしい」という苦々しさを思いながら、2016年のApple製品を考えてみます。

 

applech2.com

 

(1)iOS10について

 

先日のアップデートでiPhoneSEをiOS10にしましたが、持ち上げてスワイプするだけで頻繁に使うアプリがすぐに使えるのは、まぁそれなりに便利ではあります。

 

とはいっても、この辺のことは「Hey siri」と呼べばやってくれる一方で、人前でこういう声を出してiPhoneを使うのは、いかにも流行りもの好きな中年男のようで、恥ずかしいという理由から、せいぜい自宅でタイマーをセットするくらいしかやっていません。

 

待望の新機能は「ホーム」なのでしょうが、国内製品で対応しているものがなく、どうせSONYあたりが独自規格を出してきて、「これだからガラパゴスジャパンは・・」と云われるのでしょうから、海外製品に期待してみましょう。

 

(2)macOS Sierra

 

今のところ、「HFSファイルシステムの廃止」が最大の問題で、なにしろ外付けHDDが全部これなものだから、移行をどうするのか真剣に検討しないとダメなようです。

 

Windowsの世界では、「万が一にそなえて外付けはFATにしておけ」という言い伝えがありますが、実際にコンビニ端末などでもFATしか相手にしていない状況なのですから、いくらAppleが新ファイルシステムを出してきてもそう簡単に普及はしないと思います。

新機能については、Siriが使えたといってもそういうものはiOSで用事が済んでいるわけですし、況してやキーボードやマジック・トラックパッドで自在にファイルマネジメントができる状況で、少なくとも健常者には不要ではないかと思われます。

 

ただ、私の場合には服薬の時間や膝のリハビリの時間をリマインダーで通知してもらっている関係で、音声案内であれば少しはやる気もできるかなとも思います。

 

野良アプリの追放が掲げられていますが、どうせ囲い込みをするのであれば、インターフェースが一定基準を満たすものを推奨したほうがよろしいかと思います。

 

一部の「神アプリ」と呼ばれるもの以外は、器用貧乏なアプリが多く、あれこれ色々なことはできるものの、全体としてダイナミズムがないのは困ります。

 

Optimize Strage機能は、システム管理の基本中の基本をMacにやらせるということで、可能ならば無効にしておきたいところです。

applech2.com

 

続きは、リリースされた後にまた思いつけば書いておこうと思います。

 

3 watchOS

 

Appleウォッチ2が完全防水になったのは大変良いことなのですが、ホーム機能と連動していないとありがたみがなく、この製品はまだしばらく様子見にしておきます。

 

そのようなことで。しばらくはレビューが出るでしょうから、その辺を見ながら追記していこうと思います。

 

(コンサート見聞録)板倉康明氏監修「これからの音楽 音楽のいま」

9/15日 札幌キタラホールで板倉康明氏のプロデュースによる「これからの音楽 音楽のいま」というテーマのコンサートに行ってきましたので、感想を書きたいと思います。

 

ブーレーズの「デリーヴ1」と武満徹の「雨ぞ降る」以外はすべて若手作曲家による新作集となっており、演奏曲目は次のとおりです。

 

ピエール・ブーレーズ「デリーヴ1」

薮田翔一「Reflect」

小山隼平「歯車」 語りと室内楽のための

酒井健治「秋の協奏曲」~6人のアンサンブルのための

阿部俊祐「隣人のいない部屋」~三角みず記の詩による語りと音楽のための

武満徹「雨ぞ降る」

 

若手作曲家の新作はいずれも、「古典的な前衛音楽」と形容するのが一番ふさわしく、小山氏の作品だけは、いわゆる「ミニマル的な」反復が特徴的ではありましたが、全体的に「はっちゃけた」ところのない生真面目な作品が連なっていました。

 

それはそれで面白い部分もあれば、何かと考えさせられる部分もありましたので、それらの感想を書いてみます。

 

<語りを伴う作品について>

 

日本人が日本語の語りを聞くと当然ながら意味がわかってしまうわけで、意味が分かるとその内容のほうにばかり注意が行ってしまい、音楽を楽しめないということがしばしばあります。

 

小山隼平氏の「歯車」は、芥川龍之介の詩の朗読に音楽が随伴している曲で(立ち会っていた作曲者がMCでそのように云っていましたのできっとそうなのでしょう)、予想通り聴衆は配布されているテキストを目で追っているだけの状態になっていて、さっぱり音を聴いていないという些か残念な結果になっていたようです。詩の朗読会ではないのですから。

 

一方、阿部俊祐氏の「隣人のいない部屋」は、詩人もまったく知らない人で、詩の内容も具体的な情景を描写しているわけでもなく、そもそも意味がわからない状態でしたから、それが奏功して良い感じで聴けました。

音のほうは、旋律らしきものがほとんどない部分から、なにやら調性的な響きまでいろいろと変化が多く、今回のコンサートでは非常に楽しめる曲でした。

 

<印象に残った曲または音響>

 

薮田翔一氏の「Reflect」は、標題が音を表していて、たとえば弦楽器のグリッサンド上昇が一瞬でフルートのフラッタータンギングに「反射」するように引き継がれるなど、純粋に音を追っていくと聴きどころが多数あって面白い曲なのですが、文芸要素がまるでなく、詩の朗読系と比べてどちらが訴求力が高いかは、悩ましいところです。

 

その他、それぞれ別の曲ですが、全休止したあとに、ヴィブラフォーンの余韻だけがウォーンとなっている部分や、ヴァイオリンのボウ(弓)でマリンバタムタムをこする音、鈴を余韻たっぷりに鳴らす音などは、私の好みですので、楽しく聴かせていただきました。



<現代音楽コンサートというものについて>

 

ミュージシャン本人でも良いですし、評論家のような方でも良いですので、これから演奏する曲を面白く紹介するMCのようなものが現代音楽コンサートには必要なのではないかなと思います。

 

今回のコンサートにしても、武満作品が曲目になかったら、ほぼ関係者しか集まらないコンサートになっていたでしょうし、関係者だけでの新作演奏会はコンクールのようなものになってしまいますから、よほどの物好きでもない限り足を運ばないでしょう。

 

CDの話ですが、相当昔にキングレコードのWERGOレーベル担当者(芸大楽理科卒の女性)とお話しする機会があり、WERGOの現代音楽シリーズの解説を評論家の片山杜秀氏にお願いして好評だったとのことです。

 

音楽学を修めた方には、そういうくだけた文章は書きにくいのだと思いますし、作曲者の意図から離れすぎない程よい距離感を保った「紹介者」がいると作曲家もリスナーも幸せになれるのではないかと思う次第です。

SNSに疲れ果てて電話に戻りたいの件(ネット黎明期の彼らはどこにいったのだろう)

考えてみれば、FaceBookTwitterに「イイネ」ボタンが設置された時にさっさと撤退していればよかったのです。

 

matome.naver.jp

 

世の中に、良い人というのは「調子の良い人」「都合の良い人」「どうでも良い人」の三種類しかなく、イイネというのもそのうちのどれかです。

もちろん英語圏ではLikeまたはLoveなのですから、ニュアンスは異なるのだと思いますが、おそらく友人(となっている)人たちを無視するのも忍びないので付けているだけです。

 

本当にその投稿に感心があるのならば、リツイートまたはシェアすれば良いだけですから、実は単に関心がない「どうでもいい」のイイネであろうと思います。

 

私を疲れさせるのは次の3種類。

 

(1)自分の新作発表、お店のイベント告知等以外のことを一切書かない人

 

もしかすると、私には共有されない部分で共有しているのかもしれませんが、そういうものだけ過剰にアピールしてくる人は、単にSNSというものを宣伝ツールだとしか思っていないようです。

 

(2)見知らぬ人女性からの友達申請

 

見知らぬ女性が突然近寄ってくるのは全部詐欺だと思っているので、鬱陶しいです。

 

(3)キテレツな情報商材の広告

 

「たった1年間で1億稼いだ」とかいう話も、全部詐欺だと思っているので、鬱陶しいです。

 

以上により、僕にとってSNSは「出合い系」か「詐欺」であると考えることにしましたので、今のところ疲れる要素が少ないツイッターmixiだけにしておくことにします。

 

LINEも本当はやりたくないのですが、僕の同級生連中がどうしてもコレでないとダメらしいのでしかたなく「繋がって」だけいることにします。

 

2000年前後のパソコン通信、掲示板などをやっていた連中はどこにいったのだろうとつくずく思います。

 

きっと、みんなネット生活に疲れ果てて電話に戻っているのではないだろうか。僕も電話にもどりたいです。とはいってもネットと縁をきるというわけではないのだけど。

「さよならパソコンとインターネット」→「こんにちはIoT」家入一真氏へ

先日、家入一真氏の著作「さよならインターネット」を読んだ感想文を書いて、それをTwitterにシェアしたところ、著者の家入氏からリツイートされ、ささやかな感謝とともに、こうした「ご縁」もかつてのネットの醍醐味であったものだなとしみじみ思います。

 

tukurazu.hatenadiary.com

 

「絆としてのインターネット」と「ハサミ(断ち切るもの)としてのインターネット」は、書き出してみれば圧倒的なアウェー感はあるにせよ、本質としては「文化装置としてのインターネットのあり方の変遷」であろうと思います。

 

心理学者の岸田秀の表現によれば、「文化とは何かの不便を解消する手段」なのだそうで、かつての濃厚なフランス料理は「新鮮な食材が手に入らない」という不便を解消するために、あのようなソースが開発されたわけですし、日本の干魚も冷蔵庫がない時代に山間の住民が魚を長期保存させるために考案した文化です。

 

その意味でインターネットは地理的な不便を乗り越える手段ですから、軍事用は別として、民生用のネットはかつての電話電報の拡張版であると思いますし、その意味ではそう大きな差はないのだろうと思います。

 

一方、「風俗としてのインターネット」を考えた時に、インターネット元年を1995年、配信元年を2015年として20年間の変遷を省みると、その圧倒的な違いに呆然とさせられることがあります。

 

不便を解消するための手段としての代表格とも言えるコンビニの店舗数を調べたサイトがありますが、この20年間で2倍に増えました。

 

frequ2156.blog.fc2.com

 

貧乏人の道楽(失礼)だったレンタルCD/DVDショップも都市部にはあるにせよ、返却の手間を考えると、あまりの面倒さに足が遠のきますから、その将来は明るくはないですし、金持ちの道楽だった旅行という趣味についてもかつての憧れでもあったタヒチ島リゾートなどは、Amazonの素晴らしい配信5D映像で楽しめますから、あえて金をかけてまで行きたくなくなりました。近場のディズニーのほうが安上がりで楽しいのではないでしょうか。

 

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今、各社がさかんに力を入れだしているIoT(Internet of Things)は、あらゆるデバイスをインターネットに接続し、その膨大なログをビッグデータとして解析していこうということなのですが、私のこれからの人生もただの「ログ」になるのだろうなと思います。

 

すでに先発的に出ているスマートウォッチで、位置情報、行動情報、体調管理などが行われ、産業用で提供されているスマートグラスを併用することで、GPS誘導により目的地まで安全に行き着き、危険なものを回避したりすることができるわけです。

 

そのような状態になると、ふたたびデジタルデバイドという問題が浮上してきて、これまで喜色満面でスマートフォンを弄っていた人々でも、技術の進歩に付いていけなくなり、MVNOで提供を始めた電話かけ放題サービスを利用して、20世紀からやっている「長電話」が復活すると私は思います。

 

一方、私は、SONYのヘッドマウントディスプレイを中古で購入して、新たな楽しみを発掘中です。

www.sony.jp

 

おそらく9月に最新モデルが出るであろうAppleウォッチも購入する予定です。

 

酒とともに振り返るアナログでつまらない人生ではなく、ライフログの解析を通した自分の行動の再発見ということに考え方を変えてみれば、また新たな展望も見えるでしょう。

 

それでは。

 

(読書感想文)「さよならインターネット」家入一真 著

 この数年、なぜ世の中が面白くなくなったのか、どうしてワクワクできることが少なくなったのかという、私の疑問にある程度解決を与えてくれた新書です。 

 

著者の家入氏は、かつて引きこもりとしてつらい日々を送っていたころ、インターネットという存在を通して多くの仲間に救われたという、1990年台にはよくいたタイプの人だとのこと。

 

一方、イマドキの若い人から、「インターネットが好きだなんて、まるでハサミが好きだというようなものではないか」という指摘を受けて、衝撃を受けたというのが、この書物執筆のきっかけになったようです。

 

私は、インターネットがハサミだとは思っていませんが、電気や水道のような「途絶えさせてはいけない」インフラに過ぎないだろうと思っています。

 

一方で、「断捨離とミニマリスト」というここ数年の流行がインターネットの最大の成果の一つだろうと私は思います。

 

私はかつて膨大な書籍とCDに溢れて暮らすのが快適でしたが、現在は自室の八畳一間に必要なものの全てが詰まっています。CDも書籍もありません。

 

断捨離は、箪笥の肥やしなっている洋服やバッグなどを一度放出させて、新しいモノを買わせようという戦略的なブームだったようですが、ミニマリストというのはあらゆる情報をデータ化して、それをクラウドに上げてしまえば、PCとスマートフォンと最小限の着替えがあれば数ヶ月くらいは住所不定でも暮らしていける世界を目指しているように思います。

 

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多くの仲間とつながっているのではなく、よく知っている仲間とだけつながっている手段としてのインターネットは、むしろ閉塞的ではないかという家入氏の指摘は、私も同感です。

 

実際、私がLINEでつながっている中学時代の同級生のうち、女子はおおむね同じ頃に結婚し、同じ頃に子どもが生まれて、同じ頃に子育てをしていますから、早晩子どもの就職や結婚の話と、孫の話と、嫁の悪口と自分の病気の話しかしない老人になるのは明らかで、なんのことはない、昭和の頃の井戸端会議の電子版でしかないだろうと思います。

 

かつて流行していたオートキャンプも、アウトドアスポーツも一部の愛好家だけのものになり、IT化の波に乗れなかった中年男性は「旧車會」などという無様なことをやるしかなくなり、かつて書物と音楽と映画を友としていた私は、その大半がAmazonで事足りるようになって、生きていくうえでのコストがかからなくなりました。

 

それに代わる新たなコストとしてプロバイダー代とMVNO代が毎月10000円ほどかかっているわけですから、もう諦めてインターネットをインフラとして存続させながら、ゆるやかに昔に戻ったのだと考えるしかないだろうと思います。

 

未来志向を突き詰めれば必ず過去に戻ります。

 

このブログも  「述而不作 いにしえの未来」というタイトルですから、私の確信もますます固まるばかりです。

 

 

ポケモンGO!は無問題 (ウォークマン1979〜Windows95 1995 i-mode1999)

ポケモンGOがケシカランというご高説が多く出ていますが、それを云っている人たちは、かつてSONYウォークマン(1979年)やWindows95(1995年)やdocomoiモード(1999年)で熱狂していた人たちで、そろそろ時代に取り残されていることの証左だろうと思います。

 

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これがソニーウォークマン(初代)です。

 

音楽を街へ持ちだそうというコンセプトだったはずですが、「周囲の人たちとの関係性を断って自閉する若者たち」とかいうようなご批判は多かったものの、まず満員電車の中で目の前数センチにいるどこの誰だかわからない人間との関係性など関心の対象外だろうと思います。

 

この構図は、現在もスマホスマートフォン)で音楽を聴きながらSNSをやっている人たちにも受け継がれています。

 

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これがWindows95の起動ロゴ画面です。(1995年)

 

一部のマニアの高価な道具に過ぎなかったパーソナルコンピューターを広くお茶の間に広げたということになっていますが、記憶するところによればおそらくこれは年賀状作りの機械として普及したはずです。

 

www.nttdocomo.co.jp

 

これがiモードです。WIndows95はとてもじゃないけど使いこなせない人たちが「メール」という道具を手にして舞い上がっていたのを覚えています。

 

ケータイが普及してから、CDもマンガも小説も売れなくなったという文句があちこちから聞こえましたが、それも今や歴史になりました。

 

そして2016年

 

ポケモンGO!とプレイステーションVRです。

 

www.jp.playstation.com

 

またぞろの批判が出ていますが、すぐに「適度な使い方」が普及して批判は封じ込められるでしょう。

LPICとITILファウンデーションとVagrantとDockerの勉強を同時に始めた件

今年度に入ってから勤め先の会社がやけに資格取得を推奨してきます。

 

形の上では「アンケート」なのですが、「あなたは資格取得の準備をしていますか(y/n)」「yの方に質問します。その資格は何ですか」「いつまでに取得しようと考えていますか」などという状態なので、もう資格を取らないと承知しないということのようです。

 

会社が取得を推奨してくるのは次の3つです。

  1. LPIC
  2. ITILファウンデーション
  3. CISCO系の資格

本来私は事務系の人間なので、これからの資格には縁がないはずなのですが、早い話が「他人との差別化を図る」ことが必要だということです。

事務仕事しかできない人間の将来はそう明るくなく、生涯働き続けるならば資格(というより、その資格を取得するために勉強した知識)がないと先行きが不安なご時世のようです。

 

そういうわけで始めたのが、まずLPIC

 

www.lpi.or.jp

 

Linuxシステム管理の資格なのですが、90年代後半のオープンソースブームの頃にLinuxで遊んでいたこともあり、まったく知らない世界ではありません。

 

とはいえ、コマンドラインのオプションなど全部覚えておらず、起動の仕組みも昔とはずいぶん違っており、昔得た知識の回復とここ10年くらいで変更になった事項の再整理を始めました。

 

この資格は、本当はレベル3まで取得して仮想化技術までしっかりマスターすればそれなりに面白いのだろうと重います。

 

次にITILファウンデーションです

 

it.prometric-jp.com

 

LPICが一応の技術系なのに対して、こちらはサービスプロバイダーが知悉しているべきベスト・プラクティスの集大成となっており、営業系、運用系そして管理職などに向いている資格と言えるでしょう。

 

ただ、いかにも欧米で体系化された概念という感じで、用語の大半がカタカナ語であり、とかく英語をカタカナにしてしまうと録なことがないもので、サービスとかプロセスとかいう用語が、私の知っているそれとは異なる意味で使用されているものだから、混乱を生じること夥しいというのが実態です。

 

ITILでいうサービスとかプロセスは事業の執行にかかる概念です。)

 

この資格は、実際にそれに準拠した組織または仕事に直接携わっている人でないと馴染みにくいようにも思いますが、一応kindleで対策本を買ったのでちらちらと準備はしておこうと思います。

 

なお、当社の推奨資格として「強く」取得が望まれているものは上記の2つと、CISCO系以外は、ほぼ情報処理技術者試験(国家資格)のみです。それ以外の資格はないよりはあったほうが良いとはいえ、評価が低いか全く評価されないわけですから、当面視野から外すことになります。

 

そして、LPICの受験に当っては実習環境の構築にあたり、Debian系とRedHat系両方の知識が問われるうえに、いわゆるLAMPLinux Apache MySQL PHP)の環境構築が面倒だということで、出来合いの仮想環境を速攻で持ってきて使い捨てできるという、昨今流行のVagrantとDockerに手を出した次第です。

 

qiita.com

 

こんなシロモノなので、ハマりまくって大事になっている状態です。ネット上の情報も未整備ですし、配布元からのクラウドインスタンスもどこまで信頼して良いのやらわかりかねる状態です。

 

まぁ動かないこともないのですけど、当面、VirtualBox上にUbuntuCentOSを入れて、一番わかりにくいディストリビューションごとの「流儀の違い」を整理する日々となっています。

 

試験に合格すれば受験料は会社から支給されて、小遣い銭ももらえるわけですが、落ちたら数万円が水の泡となるわけですので、受験料の安い国家資格のように「運試し」で受けるわけにもいかず、慎重に慎重を重ねて受けることにしましょう。