述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります

中世音楽講座受講報告 (そして私は近代主義が嫌いだ)

ルドン絢子先生の中世音楽講座を3回に分けて受講してきましたので、その感想と自分なりに考えたことを取り留めなく書いてみようと思います。

 

www.medievalmusicjapan.com

 

私は普通の五線譜もマトモに読めない(正確には調号が出た段階ですでにアウト)ドシロートなわけで、本来こうした講座を受講するには知識足らずであろうと思ったのですが、ルドン先生も「演奏家ではないのだから何か知識を得て帰ってくれればよいです。」とのことでしたので、将来何かの役に立つかもしれません。

 

一般に「お稽古ごと」となると、圧倒的に女性ばかりで男性の居場所がないのですが、こちらは大学の講座ですから男女半々くらいで、しかも英単語帳のようなものにビッシリとラテン語典礼文を書いてきて照合している勉学熱心な方々もおり、久々に向学心に燃えてきた次第です。

以下、特に脈絡なく記載してみます。

バッハ以前の音楽が知られるようになったのは戦後である

クラシック音楽を聴く楽しみというのは戦前からあるわけですが、概ね金持ちないし教養主義者の道楽であって、しかも西洋音楽史がいきなりバッハから始まっていたようです。(古い音楽教科書ではバッハを古典派として扱っていたりするものがありますし、そのバッハも19世紀半ばに「再発見」された人です。)

 

よってこの世界観によれば、バッハが造物主のように存在して、モーツァルトハイドンなどが周辺を舞う天使で、満を持して生誕したベートーヴェン楽聖として戴冠するという音楽史になり、そして19世紀末でクラシック音楽は終わりとなります。

 

この世界観を改めたのは皆川達夫氏であって、長らく「バロック音楽の楽しみ」というラジオ番組で解説を務めたことなどが奏功して現在に至ります。

 

クラオタにとって中世音楽も現代音楽もゲテモノである

クラシックオタク(通称「クラオタ」)と呼ばれる人たちは、おそらく私の家のステレオ装置の値段より桁が一つ二つ多いオーディオシステムを持ち、自室でブランデーとシガレットを嗜みながら(?)お気に入りのレコード(CD)を聴く人々で、それはそれでステキでしょうが、彼らは自分の「神聖な」オーディオから出るべき音を厳選しているようで、中世音楽ポリフォニーや現代音楽のエレキものが許しがたいらしく、この人たちに中世音楽のことを話しても「野蛮人の音楽」だと一蹴されて終わりのような気がします。

(ちなみに、ルネサンス以前の音楽が奇異に聴こえるのは一般的な協和音(ドミソ)がまだなくて、ドソに近い不安定な響きが続くからであって、そのうちドミソの協和音が発見され、そしてミの音が半音下がるとマイナー和音の暗い響きになるわけですが、それは相当後代の発明品であるとのことです。)

クラシック音楽以外認めないという某漫画家氏がロックやジャズのことを「汗かき音楽」と読んで軽蔑していましたが、きっとこの人は交友関係が狭いのだと思います。

 

You TubeSpotifyは予習復習に役に立つ

一昔前なら考えられないことですが、講座の教材音源の大半はYou TubeまたはiTunesの音源であり、聴くべき中世音楽アンサンブルのご紹介をいただき、皆メモ(ではなくて、黒板に書かれたものの写真)をiPhoneで撮っていました。

 家で復習するときには、それらを検索して聴けばよいのです。音楽配信サービスなるものは音楽の素朴な感動を台無しにするという批判もあるでしょうが、物事なんであれ良い面だけ、または悪い面だけということはないので、ユーザーの心がけ次第でしょう。

どこかの親切な人が音に合わせて楽譜を動かしてくれているので、何度も復習するには相当良いと思います。

 


Rhythmic mode - Video Learning - WizScience.com

 

モードリトミックマイルス・デイヴィスのKind of Blueについて

初回の授業でモードリトミックというものを実演付きで教えていただいた次第ですが、この音形はモード・ジャズの最高峰とも云われるマイルス・デイヴィスのカインド・オブ・ブルーの各曲によく似ていて、そもそもモロにこれじゃないのだろうかと思いました。

 

ジャズ史と称される書物を読むと、モード・ジャズとは何であるかと説くに「理屈はよくわからんがモードだ」と話をはぐらかされるわけですが、まぁ普通にモード・ジャズの名盤をいくつか挙げておけばよいらしいです。

 

とにかく、カインド・オブ・ブルーの作者がすでに天国に行かれているので確かめようがないのですが、きっとモードリトミックなのだろうと勝手に決めておきます。

 

 


All Blues- Miles Davis

 

わりと皆さんカトリックのミサには出席したことがない

中世音楽講座なのですから、かなりの部分で宗教音楽の話になりますし、それらのラテン語典礼文をよくご存知の方が多いのですが、実際のカトリックのミサには出席したことがないらしく、要するに日本のキリスト教はそれだけ魅力がないのでしょう。

一方、キリスト教信者の方は音楽に関心がなく、あろうことかバッハの「G線上のアリア」を人に聴かせて「これ!これがキリスト教なのよ」とおっしゃる方がいるようなので、知人と次のような話をしました。

キリスト教音楽を言うのならバッハのヨハネ受難曲でも聴かせたほいがいいんじゃないか

●いやいや、冒頭のHerr!の歌い出しで皆逃げ出すからw

○やっぱり音楽のこともキリスト教のことも知らないんだねぇ。

これはもう仕方がないことであって、彼らはミサで歌う典礼聖歌というものを音楽の授業と同じように義務的にやっているのでしょう。

今後に向けて

表題にも書いているとおり私は近代主義(正確には啓蒙主義)が嫌いです。楽譜の成立過程を学んでいたときにこれは確信に変わったのですが、最初に記譜する必要が生じて何かの工夫をし、それらが都合が悪くなれば改良していき、またあちこちの修道院で違う歌い方(記譜の仕方)をしていては都合が悪いからだんだん整理統合されていったというその課程が大事なのであって、最初から何かの理念に基づく合理性を追求してしまうと、それまでの伝統の中に包含されていた別の「実質合理性」が破壊されてしまいます。

雷や皆既日食は神の怒りでもなんでもなく自然現象であるというのは現在では自明ですが、さりとて雷の危険が去ったわけでもありません。

なにも中世の迷妄に返るべきだと言っているのではないですが、神聖なもの畏れ多いものを神秘のままにしておきたいものです。なんでもかんでも最初に合理的なお題目を掲げて、納得できなければそれをやらないというのは近代主義の悪弊です(笑)

 

あと、中世以前の相当にメチャクチャな典礼文や聖母マリア賛歌に藉口して何かの恋愛歌をやっていたりするものや、長く引き伸ばされた「キリエ」の上で全然別の世俗的なことを歌っているものが多数あり、西洋音楽史を学ぶ上での端緒となるお話が多数聴けました。 

 

ルドン先生。ロン毛の後ろにカラフルなメッシュを入れたステキな方でした。また何かの機会に習いにいきたいと思います。