「さよならパソコンとインターネット」→「こんにちはIoT」家入一真氏へ
先日、家入一真氏の著作「さよならインターネット」を読んだ感想文を書いて、それをTwitterにシェアしたところ、著者の家入氏からリツイートされ、ささやかな感謝とともに、こうした「ご縁」もかつてのネットの醍醐味であったものだなとしみじみ思います。
「絆としてのインターネット」と「ハサミ(断ち切るもの)としてのインターネット」は、書き出してみれば圧倒的なアウェー感はあるにせよ、本質としては「文化装置としてのインターネットのあり方の変遷」であろうと思います。
心理学者の岸田秀の表現によれば、「文化とは何かの不便を解消する手段」なのだそうで、かつての濃厚なフランス料理は「新鮮な食材が手に入らない」という不便を解消するために、あのようなソースが開発されたわけですし、日本の干魚も冷蔵庫がない時代に山間の住民が魚を長期保存させるために考案した文化です。
その意味でインターネットは地理的な不便を乗り越える手段ですから、軍事用は別として、民生用のネットはかつての電話電報の拡張版であると思いますし、その意味ではそう大きな差はないのだろうと思います。
一方、「風俗としてのインターネット」を考えた時に、インターネット元年を1995年、配信元年を2015年として20年間の変遷を省みると、その圧倒的な違いに呆然とさせられることがあります。
不便を解消するための手段としての代表格とも言えるコンビニの店舗数を調べたサイトがありますが、この20年間で2倍に増えました。
貧乏人の道楽(失礼)だったレンタルCD/DVDショップも都市部にはあるにせよ、返却の手間を考えると、あまりの面倒さに足が遠のきますから、その将来は明るくはないですし、金持ちの道楽だった旅行という趣味についてもかつての憧れでもあったタヒチ島リゾートなどは、Amazonの素晴らしい配信5D映像で楽しめますから、あえて金をかけてまで行きたくなくなりました。近場のディズニーのほうが安上がりで楽しいのではないでしょうか。
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今、各社がさかんに力を入れだしているIoT(Internet of Things)は、あらゆるデバイスをインターネットに接続し、その膨大なログをビッグデータとして解析していこうということなのですが、私のこれからの人生もただの「ログ」になるのだろうなと思います。
すでに先発的に出ているスマートウォッチで、位置情報、行動情報、体調管理などが行われ、産業用で提供されているスマートグラスを併用することで、GPS誘導により目的地まで安全に行き着き、危険なものを回避したりすることができるわけです。
そのような状態になると、ふたたびデジタルデバイドという問題が浮上してきて、これまで喜色満面でスマートフォンを弄っていた人々でも、技術の進歩に付いていけなくなり、MVNOで提供を始めた電話かけ放題サービスを利用して、20世紀からやっている「長電話」が復活すると私は思います。
一方、私は、SONYのヘッドマウントディスプレイを中古で購入して、新たな楽しみを発掘中です。
おそらく9月に最新モデルが出るであろうAppleウォッチも購入する予定です。
酒とともに振り返るアナログでつまらない人生ではなく、ライフログの解析を通した自分の行動の再発見ということに考え方を変えてみれば、また新たな展望も見えるでしょう。
それでは。