述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

国立大学学部見直し>文部科学省が屈服した模様

公開していなかったので、やや時期遅い感じですが

 

文部科学省が経済界の要求に抗いきれずに、国立大学の特に文系学部の見直しを求めたとのことで、これについて大前研一がどういうわけなのかマサチューセッツ工科大学に倣えというご意見の寄稿の模様です。

 

大学は、世界レベルの職業訓練所であれ - 大前研一 (1/2)

 

実際のところ、職業訓練を重視するのであれば、イニシアティブは厚生労働省の労働行政側に移ることになり、このまま福祉行政を担当する「厚生」部門が幼稚園(幼児教育/文部科学省担当)を引き剥がして、保育園との統合(幼保一元化)を進めれば社会のニーズにも応えることができるものと思われます。

 

文部科学省の懸念は、数多いる文系学部教授の失業問題をどうするかということと、自分たちの天下り先がますます減るということだけで、識者がいろいろ意見するように、「学問の死」などと嘆く話でもないと私は思います。

 

ただ、アメリカと日本では企業風土が異なり、とかく下積み主義、つまり「同じ釜のメシを食った」仲間でなければ信頼しない日本企業においては、組織統治や人心掌握に関する学問、つまり貝原益軒やら伊藤仁斎やら佐藤一斎やらの学問をどう役に立てるのかというところですが、福沢諭吉の「学問のすすめ」からして実学重視なのですから、やはり全近代のまま、科学技術だけちょうだいする人間を養成することに変わりはないようです。