述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

身の丈にあった受験(努力)しかして来なかった自分の現在はそれほど悪くない

なにやら文科相の「身の丈に合った受験を」という発言が大炎上しているようで、私は正直なところ身の丈に合った受験で何がいけないのかよくわからないので、なんとなく落ち着かないのです。

というのも、自分がこれまで身の丈に合った努力しかしてこなかったからです。

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適当な努力&不要なことはやらない勉強

私の場合は、父親からの影響が大きかったのかもしれませんが、要するに「学問と受験テクニックはまったくの別物で、受験においては試験に出ないことはやらなくても良い。」というのが一貫したポリシーでした。

つまり中学時代は主要5課目以外は真面目にやらず、その5課目も教師の授業など聴くだけムダ(教師にやる気がないのは学生にもすぐ伝わります。)なので、授業時間も自習し、高校受験も自分の偏差値で無理なく入れる高校しか受けませんでした。

大学受験も同じく、文系志望だったので理系課目はほとんどやらず、自分の偏差値で無理なく合格できる大学一校しか受験しませんでした。

早めに取り組んだ就活

今では当然のことになっていますが、大学入学と同時に就活の準備は始めていました。自分の適性とそれに適合する業種選びをし、その分野の業界研究をして大学の就職担当とも打ち合わせをして、比較的早期にターゲットを絞って内々定をもらっていました。

勉強はといえば、やはり単位を落とさないだけの必要最小限しかやらず、ゼミも卒論なしの教授を選びました。

無事卒業して、友人たちとはさよな~ら~

社会人生活

さすがにこれは、同年代から現在の団塊までいる世界で、業務の以前にどうやってこの理解不可能な人々と一緒に仕事をすればよいのか悩んだのですが、結局相互理解は不可能なのだということがわかって、どうやって早く故郷の札幌に戻るかばかりを考えていました。

要するに力のある上司には忠勤に励み、どうでも良い上司には洟も引っ掛けないという基本スキルを身に着けたので、そこそこの王道コースを歩むことができました。

要領第一主義

私の実家は貧困とまでは行かなくても決して裕福でもなく、○○学力増進会とかいう予備校の類いにも行かせてはもらえませんでしたが、

(1)何事も早め早め
(2)要領半分・努力半分

あと、親が決して無理な努力を強いなかったことも幸いしていたのでしょう。

身の丈にあった受験をしていたら負け組になるとか、貧富の格差が学力の格差になっているとかいう現在の世の中もよくわかりますが、ネットで炎上しているだけでは物事は何も変わらないと思いますし、教育制度には反抗するより順応したほうが結局は得をするのだと思います。

それで、身の丈に合った受験をして何が問題なのか、やはり私にはよくわからないので教えていただきたいのです。本当に。