述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

(コンサート見聞録)カテドラルコンサート「聖母マリアの夕べの祈り」

2019年5月18日、カトリック北1条カテドラルで行われた「聖母マリアの夕べの祈り」全曲演奏会に行ってまいりました。

f:id:sanayan999:20190519084531p:plain

カトリック札幌北1条教会について

いきなり英語の解説ですが、チャーチ(Church)は一般的な教会、チャペル(Chapel)は聖堂(つまり中)そしてカテドラル(Cathedral)は司教座教会、つまりその教区全体を統括する聖職者の座する教会のことで、一般には非常に大きな教会です。

建築100年を超える札幌景観資産となっており、献堂趣旨が「守護の天使」ですから、マリア像は当然として、聖クリストフォロスなどさまざまな聖人像が飾られ、かつ「ヨルダン川で洗礼を受けるイエス」などの洋画があちこちに飾られていて、要するに昨今のカトリック教会の中ではわりと「派手」な部類に入ります。

ただ、コンサートホールとして見た場合、決して広いほうではなく、今回のコンサートもオーケストラと合唱団の規模を縮小しての上演となりました。

楽曲について

遠い昔に何度か聴いただけで、ほとんど記憶から飛んでいたので、ほぼ「初めて聴く曲」として楽しめました。

また、この曲はCDで聴くのはまぁ良いとして、コンサートで聴く場合やはり教会のほうが向いていると思います。音楽の感動は上演場所に従属する場合が多いという説を昨年に引き続き確かめるべく、あえてカテドラルコンサートで聴くことにした次第です。

(去年の実践例は、古民家で聴く移動音楽会(オペラ)「鍵」です。)

 

tukurazu.hatenadiary.com

 

 当日のレポート

(1)暑い 腰と尻が痛い

当日の最高気温は24度と初夏並みで、ここに数百人の聴衆がギッシリ座るものだからものすごく暑く、しかも教会の椅子というのは座布団は敷いてあるものの、五人がけの木の椅子ですから腰が痛くて大変でした。

(2)楽器が見えなかった

カテドラルにしては狭い教会なので、楽器は聴衆と同じ高さで座っているものだから、楽しみにしていたヴィオラ・ダ・ガンバコルネット(現代のバルブ式トランペットの仲間とは別物)の現物を見ることは叶いませんでした。

 (3)ヴィオラ・ダ・ガンバの頻繁な調弦

ほぼ1曲ごとに、ヴィオラ・ダ・ガンバがかなり長い調弦を繰り返していました。よほど音程が狂いやすい楽器なのだと思いましたが、そういえばモダンオーケストラでも、演奏前に最後まで残って調整しているのはコントラバスなので、なにか理由があるのでしょう。

 (4)山の手高校合唱部のみなさん

全曲で歌っているのではなく、二重唱や三重唱または声部の少ない合唱のときには袖に引っ込んでいて、声部の多い曲になると再登場してくるという演奏でした。

あと、有名な「7声のマニフィカト」の最高音部を山の手高校のソプラノが担当していて、やはりこの部分は若い人が歌うのが良いのかもしれないと思います。とても澄んだ美しい声でした。

 

かんたんな感想など

この曲は第一部と第二部では表情が異なり、第二部のSancta Maria ora pro nobis ~ Ave maris stella~Magnificatoでは、会場の蒸し暑さを吹き飛ばすかのような美しい音楽に魅了されて参りました。

モンテヴェルディといえば、ルネサンス音楽バロック音楽の端境(あるいは創唱者とも)云われますが、一説によるとこの変化はモーツァルトからシェーンベルクへの変化よりも大きいとのことですので、今後の研究テーマにしてみたいと思います。