述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

平成元年(1989年)の追憶~コンピューターシステムと消費税と自粛と

楽しかった大型GWも終わって仕事に復帰しましたが、休んだ分の仕事のツケを始末せねばならないので、しばらくは大忙しの日々が続きます。

さて、上皇陛下(5月現在)が生前退位のお気持ちを述べられたときに、コンピューターシステムのことまで考えていられたかどうかは定かではないのですが、前回の改元、つまり昭和から平成への改元が大混乱を極めていたので、その話を書きたいと思います。

Xデーと改元

昭和天皇が病に臥せった前年秋くらいから、テレビニュースでは毎朝、陛下の本日のご病状が報告され、Xデーが近いことは皆がわかっていたのですが、コンピュータシステムの改修をどうするかが悩みのタネだったようです。

ちなみに、当時の私の勤め先のコンピュータはメインフレームNEC ACOSシリーズと、その系列のオフコンPTOSで運用していました。

私が一ユーザーとして使っていた業務システムは、顧客の生年月日等の過去の日付を持たないものだったので、年月日は元号略称なしで二桁(つまり昭和であることが前提。基本的に現在から先の日付だけ)でした。

昭和64年の昭和天皇崩御と同時に新元号「平成」が発表され、対応に追われることになったのですが、当時の情シスは「年が01~09ならば平成、10以上なら昭和とみなす」というワークアラウンドを行い、その後の本格的改良を予定していましたが、いつしかそれは忘れられてしまい、平成10年、つまり1999年になると昭和に戻ってしまうという大失態が発生しました。

巷ではY2K問題が一般報道でも広く知られるようになっていたため、すわY2Kかと大騒ぎになっていました。その後どうやって収めたのか知りませんが、時を前後してメインフレームは撤去目前でサイロ型UNIX/Windowsサーバーがシステムごとに立ち並ぶ時代になっていったので、どうにかなったのでしょう。


1999年(Y2K)の大晦日

そして、このY2K対応の真っ最中。大晦日から元日の日付変わりにかけて社内プロジェクトチームが万が一の事態に備えて、職場に泊まり込みをしていました。

私は当時、システム関連とは全く関係がない経理担当でしたが、「年越しの晩を会社で過ごさねばならない社員のために、寿司とオードブルを用意してくれ」というご下命がくだりました。

しかしながら、経理担当といえば天下の番頭。そう二つ返事でOKを出すわけにはいかず、次のように猛反論。

非常時に準ずる態勢であるから糧食の支給は認めるが、「寿司とオードブル」というのは一体何ごとであるか。寿司を食いながら障害対応をやっている対策チームがどこにあるか。せいぜいカップラーメン程度の支給しか認めない。

と大反対したのですが、予定どおり上司が仲裁に入ってこちらは渋々寿司とオードブルを届けました。私にも非常呼集がかかるのかと思っていたらそれはなくて、無事に2000年代を迎えることができました。


大喪の礼

1989年2月24日。昭和天皇大喪の礼が執り行われました。この日は休日になったのでありがたく休ませていただきましたが、こうした国事行為が気に入らない筋の人たちが「大喪の礼に体操をしよう」といって、まだ寒い2月の屋外でラジオ体操をやっていました。

また、共産党系の勤医協病院は「国民無視の儀式と服喪強制に抗議して2/24は診療をする」と言って外来診療を行っていました。

 

平成元年度暫定予算

通例、次年度予算は翌年度の4月1日から執行され、予算の成立については衆議院の優越が認められていますので、予算案は前年度の2/28までに衆議院を通過すれば参議院で30日以内に議決しないときには自動的に年度内に成立します。

ところが、この年は消費税導入に反対する野党が予算審議を完全に止めてしまい、年度内に成立しないため、約二ヶ月の暫定予算を組むことになりました。

暫定予算では、義務的経費(光熱費、電話代、人件費等)以外の予算執行が事実上止まってしまうので、事業遂行に多大な影響を出しました。

http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/114/touh/t114020.htm


そうした次第で、自粛と消費税とコンピュータシステム(メインフレームの終わり)の状況を記憶の隅から引き出して書き留めてみました。