述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

【BSプレミアム】西村朗「紫苑物語」鑑賞記 業(ごう)の行方は何処や

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今年の2月に東京オペラシティ新国立劇場」にて上演された掲題のオペラをBSプレミアムにて鑑賞しましたので、思うところをいろいろ書いてみます。


鑑賞のきっかけは私が主にネット上で交誼を賜っている松平敬さんが出演していることですが、それを置いても今回のオペラは凄い演出/演奏で見てよかったと思います。

松平さん出演のオペラは、同じく西村朗の「バガヴァッド・ギーター」がやはりBSで放映されていましたし、昨年は足立区「仲町の家」で上演されたオペラ「鍵」にも足を運んできました。

 

tukurazu.hatenadiary.com

 

2年連続凄いものを見てしまって些か圧倒されているのですが、そのへんはおいおいと書いていきます。

 

人間の業(ごう)のようなものを登場人物たちにみたことであるよ

ストーリーと人物相関図は次のとおりです。(このように特設サイトがあると便利ですね)

www.nntt.jac.go.jp

不実な女「うつろ姫」、うつろ姫を利用して権勢を求める「藤内」、歌の道を捨て弓(殺戮)の道を歩もうとする「宗頼」、ひたすら磨崖仏を彫り続ける仏師「平太」、狐の化身「千草」。これらの主要な登場人物は全部私の内面にある「業」のように思え、舞台上でかなり多い重唱を通して、自分の内面を抉られるような思いで見ていました。

 

演出と音楽について

いつかYou Tubeに上がっていたオーソドックスな演出のワーグナー「ニーベルンクの指環」(中国歌劇団)を見た西洋人のコメントとして「うん。これはいい。西洋のモダニストもどきは何でも壊したがるからいかん」とのことでしたが、私もまったく同感です。

同じワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の愛の死の場面が殺風景な病室のベッドの上で行われているのを見て、もしかして西洋人はオペラを解体したいのだろうかと思ったことがあります。
あと、現代オペラはコンサート形式の上演も多いのですが、今回の「紫苑物語」は大スクリーンモニター、鏡、黒子が動かす弓矢や舞台。そして設定された時代にふさわしい衣装で、まさしくこれこそ「歌劇」と呼ぶにふさわしい美しい舞台でした。

重唱が多い関係で、登場人物の動きと字幕を追いながらの鑑賞だったため、あまり音楽に言及する部分がなくなってしまいましたが、時々登場する宗頼のファルセットや、千草の相当に高い音域の連続、そして平太のホーミーなど、ハラハラする場面が随所にありました。

 

原作はあえて読まずにヴィジョンにしておこうと思ったことであるよ 

石川淳の原作は、書店でかんたんに入手できるので読んでみるのは簡単ですが、このオペラは原作とは相当違う部分もあるようですし、あえて読まずに何かのヴィジョンだと思って、また見てみようと思います。(録画してありますので)

父への反抗、蛮への憧れ、あやかしの女の誘惑*1、権勢欲、宗教的な求道心など、全部自分が通ってきた道であり、この舞台はそれらがすべて一体になって私の中の業を抉ってしまいました。その体験を大切にしようと思います。

ラストシーンの言葉「ぬばたまの・・・」(「夜」の枕詞)の繰り返し。夜はやがて明ける夜ではなく異界を暗喩する言葉であろうと思いますし、自分もやがて行く世界であろうと思いながらこの静かなラストシーンを感動を込めて見ていました。

*1:私の妻のことではありません。ちなみに「うつろ姫」でもありません。(笑)