述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

松平敬著「シュトックハウゼンのすべて」読後感想文

シュトックハウゼン作品の演奏においては、日本におけるスペシャリストのひとりであり、ドイツ・キュルテンで開催されるシュトックハウゼン講習会に何度も参加して、いくつか受賞もしている松平氏が、20年以上に及ぶ研究の成果を体系化したシュトックハウゼン解説書が刊行されましたので、早速購入して読ませていただきました。

 

シュトックハウゼンのすべて

シュトックハウゼンのすべて

 

 

ja.wikipedia.org


「CDが幸福だった時代」のシュトックハウゼン全集

時は90年代半ば。日本の土地株式バブルは崩壊して無駄なグルメや散財はすっかり影を潜めてしまいましたが、ことCDにおいては次のような理由でまさに絶頂期を迎えていました。
(1)インターネットはまだ普及していないので、新譜情報が極めて限られていたこと
(2)CDが買えないほど窮乏していたわけでもなく、今に比べてゲームを除く娯楽が限られていたことから、LPからの移行を終えたばかりのCDが売れる余地があったこと*1
(3)活況を受けて大手CDショップのバイヤーは意欲的に海外の正体不明なCDを買い付けてきて店頭に陳列していたためマニアも熱狂する余地があったこと。

そんな中に、忽然と現れたのがシュトックハウゼン出版*2からリリースされている全集でした。おおむね作曲年代順に通し番号が打たれていて、シュトックハウゼン直筆の不思議にポップなジャケットが目を引き、どこか魔術的な購買欲をそそられる作品集。私は早速買い集め始めました。

しかし、付属するブックレットには丁寧な作品の解説が載せられていたものの、それはどちらかといえば演奏者向けの内容であって、純粋リスナーにとっては敷居と高いものでした。

それから20年の歳月が経ってようやく本格的な解説書の登場となった次第です。誠に慶賀の至りといえましょう。

 

作品の数々を思い出しながら読んでみました

この本は「まったくシュトックハウゼンの作品を聴いたことがない」「聴いてみたいけどどれから聴けばいいのかわからない」という入門者向けではなく、すでに全集CDをある程度聴いたことがある人がより理解を深めるための本といえるでしょう。

とはいっても、聴くだけなら簡単でYou TubeSpotifyにはある程度の音源(中には違法なものもあるのですが・・)があるわけで、それらを聴いて少しずつ端緒をつかみながら読んでみるのが良いと思います。

私は、近年リリースされたものを除きほぼすべてのCDを購入して聴いてきましたし、同封のブックレットに記載された解説書(英文)を貧相な語学力を駆使して気合いで読んできましたが、それでも「さっぱりわからん」ということで音を上げてしまった作品が、この本では明確に解説されていて、長年の疑問が氷解したものが多々あります。

 

「さっぱりわからん」のリストの一部

・モメンテ(あるいはモメンテ形式)

リュック・フェラーリの映像作品で演奏動画が紹介されていて、コンタクトマイクを使用していることや、モメントごとの音楽的な集合のことはわかるのですが、全体としてどう鑑賞してよいのか不明

・光の金曜日

ステージ上に次々現れるバケモノ人間(笑)は一体なんですか??

・光の水曜日

どうして全曲上演ができていなかったのか(上演写真を見れば全曲の統一的理解につながると思うのですが)

・光の土曜日 ルツィファーの踊り

演奏途上でオーケストラがストライキで演奏を中断して帰ってしまう演出は、ヨーロッパでは時々あるらしい上演拒否やストライキへの当て付けなんでしょうか?

 

シュトックハウゼンに対する誤解と偏見

いわゆる前衛の時代が終焉したあとのシュトックハウゼン作品については、情報が少ないこともあって、神秘主義にかぶれて誇大妄想になった狂人などという中傷が流布されていて、あるいはそこまで行かなくても「作品に魅力がなくなった」という批評が多かったようです。

確かに表面的に見れば、クラリネット奏者が妙な衣装でステージ上を動きながら演奏するとか、雅楽に合わせて西暦年の溝をダンサーが踊っているとか、弦楽四重奏団がヘリコプターに乗って演奏しているとか、とかく喫驚する楽曲が多いわけですから、誤解されるのもやむを得ないかと思うのですが、私が実際の演奏や映像を見た限りでは、むしろユーモラスな音楽ばかりだと思います。清水譲氏も書いているとおり「シュトックハウゼンはどこかポップな印象がある」という意見に私も賛成です。*3

 松平氏も同様のことを言っており、1970年台以降の作品にはユーモアも重要な要素であるとのことです。

 

 いろいろと開眼したことなど

ここですべてを紹介することは不可能ですが、シュトックハウゼン作品の中では比較的聴取が容易で配信音源でもいくつか出ている「マントラ」(1970年)を取り上げてみます。

この曲は、私がLP時代に買ったシュトックハウゼン作品3枚のうちの1枚であり、思い出深い作品なのですが、最初聴いたときには「なんだかマントラ真言)という割には東洋的な雰囲気があまりしないし、淡々としてとらえどころがない曲だなぁ」というのが正直な感想でした。

今回、松平氏の著作を読むと、この曲は12音すべてに極めて多種多様な属性定義がされていて、これを全曲の核としているという、この後続くズーペル・フォーミュラ技法が提示されていて、まさに目からウロコの思いでした。*4

ほか、ほとんど再演の機会に恵まれていない曲や、古い作品の新録の理由など多くの秘密がこの本には濃密に詰まっています。

おわりに

シュトックハウゼンのすべて」で私が何より嬉しかったのはこれだけの内容が詰まっていて税込み約3000円という値段の安さです。

音楽書と神学書は高価なのが通例なのですが、CD1枚分の値段で買えるということは多くの人に読んでもらえる可能性が大きいと思いますし、これまで電子音楽「少年の歌」だけ聴いて満足していたようなリスナーにとっても、さらに大きな楽しみが広がるものと思います。

併せて、こちらのサイトや書籍も参考にするのが良いかと思います。

 

松平 敬 website | Takashi Matsudaira website

 

シュトックハウゼン音楽論集 (エートル叢書)

シュトックハウゼン音楽論集 (エートル叢書)

 

 

 

*1:日本ではカラオケブーム絶頂期に並行して売れていただけという説もありますが、それではなぜ日本では御大ミュージシャンのボックスセットのようなものがいまだに売れ続けているのかは謎のままです。

*2:ドイツ・グラモフォンから版権を引き上げて自家出版となったようです。おかげで本来なら絶対に商業ベースには乗らないような派生作品も聴けることとなりました。

*3:余談ですがシュトックハウゼンに何の先入観も持っていない私の妻は「シュトックハウゼンはお茶目でかわいいと言っています。

*4:CDのブックレットには記載されているのでしょうが、今振り返れば私はそこまで深く読み込んでいなかったようです。