述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります

平成の世相を振り返ってみました

平成もそろそろ終わるということで、出版業界はあちこちで「平成回顧」の書籍や雑誌を出していますが、自分の経験に照らしても年表類を調べても、平成とはバブル景気とその崩壊、それに伴う経済金融政策以外に特筆すべきものがなく、激動と呼ばれる昭和に及ぶべきもありません。

 

二度の大震災とオウム事件は特筆すべきでしょうが、ここでは触れずにおいて、このブログの平成の終わりの記念記事として自分なりに「平成の世の中の変遷」みたいなものを書き連ねてみようと思います。

 

○女性活躍・女性の社会参画

男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年ですが、いきなり優秀な女性がドッと社会進出をしたわけではなく、同時に国民年金三号被保険者(一般には有配偶者の女性の年金納付免除)の制度ができたものだから、女性が社会から退出するか、被扶養の枠内に収まるようパート労働縮小を行って地ならしが終わった頃に、ようやく女性の総合職が社会に出てきました。

 

その人たちもバブル崩壊後の景気縮小で社会退出することが多くなり、男女共同参画や女性活躍推進など、多くの政策の果てにようやく軌道に乗りだしたのは平成の終わりくらいになっていたようになります。

 

とはいえ、こういう急速に行われた措置はバックラッシュも発生するもので、上場企業の一般職募集には高偏差値大学の女子学生が殺到するなどの現象も見られ、女性は自分の人生をどうしたいのか、大学卒業時に大枠を決めておいたほうが良いようです。

 

○公共事業と規制緩和とネット通販

1990年台後半、バブル崩壊後の不良債権処理にアジア通貨危機が加わって、すわ日本破産かという状況下で、バラマキを通り越してヤケクソのような公共事業を実施した結果、いわゆるストロー効果で地方の衰退が加速。これに規制緩和と通販が追い打ちをかけます。

 

また、規制緩和によってコンビニやスーパーで酒や煙草が買え、ドラッグストアで日用品や食料品が買えるようになり、これにネット通販が加わることによって生鮮食料品以外のものはほとんど手に入るようになりました。

 

その結果、地方住民の消費の多くが地元に還元されず、地方は衰退から疲弊、そして限界集落へと向かいます。

○IT


いわゆるパソコンブームとインターネットブームが起きて、現在はスマホさえあれば良い人も増えてきましたが、会社ではやはりPCは必須の道具です。

それまで一部専門電算要員の仕事だったデータ処理は、全社員必須のスキルとなり、飛躍的な業務能率の向上が見込まれましたが、実際にはそれとは逆に一層多忙になったというのが実情でした。

つまり、メインフレームの時代には定型資料の出力だけで、さらに必要に応じて電卓を使いながら加工していた頃は、数種類の資料作成で済んでいたものが、Excelの普及によって数十種類の資料が求められるようになりました。

 

ただし、多様な情報を提示されればされるほど判断に時間がかかりますし、公表するのが憚れる資料は改訂(改竄ではなく、もっともらしい理由で特定の母数を省くなど理屈のとおる形で調整する)を求められるようになってビジネスマンはいよいよ忙しくなりました。

 

○貧困の発見と消費


放送大学講師の西澤晃彦教授の説明によれば、日本が高度成長期に入って以降、あるいは一億総中流と呼ばれるようになってから、貧困とは発展途上国の貧民街のような外国の話であって、日本には貧困は存在しないものとされていたそうです。

 

ようやく貧困が日本社会の現実であることが自覚されたのは、なんとリーマン・ショック後に派遣切りが横行し、派遣年越し村の窮状を見るに及んだ頃からだそうです。

 

結果的に貧困状態にある人には最後のセーフティーネットである生活保護で生計を立てる方法があるわけですが、そういう家庭はかつてエンゲル係数をもじってエンジェル係数と呼ばれた子どもの教育費に割く予算が乏しく、子どもの自己努力だけで一人立ちさせるのが非常に困難なのが現状ですから、ここに貧困の再生産という社会現象が出来します。

 

一方で、かつて『世間並み』を買うものであった消費は、平成に入って『自分らしさ』を買うものとなり、自分らしさはどこまで追求しても達成感はないわけですし、取り立ててそういうものを求めない人は断捨離やミニマリズムといった別の極端に走り、手に入らないものもない代わりに欲しいものもないという状況になっています。


かくいう私も、欲しいものといえばデジタルデータ(配信で提供される電子書籍、音楽、映画など)とそれを処理するデバイスくらいのもので、家は借家で車は10年以上乗っている軽車両で、何も不便を感じていません。(私は嗜まないですがゲームの高性能化も大きいでしょう)

 

大前研一氏は、手に入らないものもない代わりに欲しいものもないという状況を「低欲望社会」と名付けていますが、こういう社会が続けば良いとまでは思わないものの、身の程さえ知れば気楽な世の中になったものだとつくづく思います。