述而不作 いにしえの未来

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どうしてプログレから離れちゃったんだろう(市川哲史氏へ)

70年から続く批評系音楽雑誌「ロッキング・オン」のプログレッシブ・ロック(以下「プログレ」)担当(?)市川哲史氏が出版した「どうしてプログレを好きになってしまったんだろう」を、発売から相当経って読了しました。

市川氏の過去のインタビュー記事を元にプログレの栄枯盛衰を綴った本といえますが、読了と同時に相当熱心なプログレマニアだったはずの自分がどうして今プログレから離れていったのかが明快に見えた気がするので、そのことを書いてみます。

 

どうしてプログレを好きになってしまったんだろう

どうしてプログレを好きになってしまったんだろう

 

 70年台の洋楽シーンの大半は深読みと妄想である

日本での洋楽受容が本格化したのは1970年台半ば以降のことで、プログレもハードロックもパンクもレゲエもごちゃまぜになって情報が入ってきたわけですが、市川氏によればひときわタイトルや歌詞の深読みがひどかったのがプログレです。(歌詞については酷い誤訳があり、それに対しての深読みが増し加わります。)

それに便乗したレコード会社がもって回った邦題とレコードの帯の煽り文句を付けるものだから、「俺達はハードロックファンなんかと違って思索的かつ学究的なんだ」という歪んだエリート意識を涵養させていたというのが実態です。

極端にいえば、自分たちだけが「世界の真理」とか「宇宙の法則」とかに到達できるとでも思い上がっていたのかもしれません。

しかし、それはやはり幻想でしかなく、プログレも音楽のいちジャンルなのですから、次第に幻想が醒めていくと、そこには重厚長大で奇妙な音楽があるだけでした。

 


プログレが失速していった頃に自分は何をしていたのか

1980年前後は「プログレ冬の時代」と呼ばれていて、何もプログレだけではなくロックそのものが魅力を失いつつあったわけですが、その頃、自分はジャズ・フュージョンと並んで、シュトックハウゼン、ベリオ、ケージなどの現代音楽のLPレコードを買うのが楽しみになっていました。

プログレという変な音楽に慣れた耳でも、現代音楽の奇矯な響きはかなりの違和感を与えましたと同時に、それらの音楽には世界の真理も宇宙の法則も何もありません。音楽は音楽です。

また、その「プログレ冬の時代」と同じ頃、現代音楽は調性への回帰(昔に戻ったということではなく、それほど「奥の院」ではなくなったということです。)がありました。

そのほか、キース・ジャレットを擁するECMもありますし、ちょっと情報レーダーを駆使すれば、意欲的な現代音楽やジャズはたくさんありました。

過去の名作と最近のそのような作品の洪水の中で収取選択していくうちに、プログレのことなど忘れていたというのが正直なところです。

 

iTunesSpotifyの衝撃

2001年にAppleiTunesを発表したと同時に、私は所有していた数百枚のCDを全部リッピングして、ハードディスクに格納した上でCDはすべて売ってしまいました。今で言うミニマリストの先駆けですが、ハードディスクは冗長構成にして失うことがないようにする必要がありましたから、大容量とはいえ原始的なRAID装置を必要とするので、必ずしもモノが一掃されたわけではありません。

その後は、図書館やツタヤなどでのレンタルでコレクションを整理していったわけですが、 そうなるとプログレッシブ・ロックもジャズも現代音楽も自分流のジャンル分けが可能になりますので、ビル・ブラフォード、アラン・ホールズワースソフト・マシーンジャコ・パストリアスなどを好みのリストに入れて、一応、少しだけプログレのことも思い出すようになりました。

その後、iTunesにはGeniusと称されるお好みリスト作成機能が搭載されるようになって、あまり自分ではそうしたことはやらなくなったものの、音楽への関心はより増したように思います。

そして、2010年代にはついに配信への移行が始まり、ここにおいてハードディスクは全部廃棄され、2018年現在、私の音楽視聴環境はAmazon FireTVまたはiPadBluetoothスピーカーでSpotifyを鑑賞するだけになりました。

 

そしてプログレはどこに行ったか

プログレはアート・ロックという別称もあったぐらいで、芸術志向が高いうえに触手も長いので、現在どこかの弦楽四重奏団ショスタコーヴィチの全集とプログレを同時に演奏していたり、別の四重奏団がピアソラアルヴォ・ペルトを同時に演奏したりする中、いつでも聴ける「プログレ"名盤"」は名盤の役割を終えつつあるように思います。(名盤の中にも結構存在する「捨て曲」にまで律儀に付き合わなくても良いのですし)

世の中には「プログレ原理主義」なる思想があるらしく、これはクラシックの「ドイツアカデミズムが至高でその他は亜流。現代音楽は雑音」とかジャズの「モダンジャズは50年台に限る」というのと同じ偏狭な発想ではないかと思います。

そうしたわけで、今の私にとってのプログレは懐メロでもあり、今聴いている数多の音楽のあちこちに見出される分子のような存在でもあります。

純粋信仰とかいう堅苦しい箍を外せばより広い世界が広がるでしょう。