述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

それでも寺院葬を勧める 寺院/僧侶という機関

葬儀の質素化と並行するように従来の石墓をやめて散骨や樹木葬にしたいという人が増えているようです。

 

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背景にあるのは、親戚関係の希薄化や地域の衰退、そして最も大きな理由として遺族の墓参負担や経済負担を減らしたいという理由があるようです。

 

死生観は人それぞれですし、故人の意向もあるでしょうからどうしても散骨や樹木葬にしたいというのであれば、まったく無碍にもできず、これまで寺院では仏式葬儀のお布施と戒名代と院内墓や骨堂の売上が収入源だったわけですから、いろいろな意味で変化が大きいことと思います。

 

現在、洋の東西を問わず宗教はあまり流行っていないというのも、葬儀や埋葬の変化の一因であろうと思いますが、あくまでも「流行っていない」だけであって、宗教がなくなったわけではありませんから、葬儀のあり方を変えるのであれば、それらの宗教に規定されてきた死生観を一度まっさらにして新たな死生観を構築する必要があります。

 

現状、自分の周辺を見ているとおカネの問題が真っ先にきて、次いで自分の墓を供養してくれる子孫もいそうにないという現状に慌てて、無理やりそうした新葬儀を編み出したように見えます。とうてい新しい死生観を確立したようには思えません。

 

キリスト教文化の場合、キリストの再臨とともに死者は墓から復活して栄光の体になるというのが基本にありますから、神学的な意味付けを気にしなければ「やがて御国で会いましょう」という死生観は実はそれほど変わっていないのではないかと思います。(キリスト教の人に聞いたわけではないので確かではありませんが)

 

日本の場合、死者というのは懇ろに供養しないと祟ったり化けて出たり因果が報いたりする存在なので、両親の葬儀を簡素化したり、散骨したりするのは良いとして、あとで遺族(子や孫の世代)にイヤなことが続いてインチキ占い師に相談に行き、「あなたはご両親の供養をちゃんとやっていませんね!」と脅かされたら、それに抗うのは難しいと思います。(その結果、無用な大金を掠められるリスクがあります)

 

別に葬儀にも墓にも戒名にも大金をかけろという意味ではないのですが、のちのちイヤな思いをするのが怖いなら、寺院/僧侶という一種の機関を上手に使ったほうが懸命だと思います。

 

実際に僧侶や牧師に聞いた話では、供養とかメモリアルとかいうのは遺族へのカウンセリングであると明言しています。もちろん、死者のことはすっかり忘れてしまったのであればそれはそれで結構ですし、実は死者にとってもそのほうが有り難いでしょう。

 

死者は死者でもし死後の生活があるのなら、そちらのほうが忙しいはずで、後から懇ろに供養されても、「アイツらは俺が現世にいるときには散々冷たくしたクセになにを今更しおらしく・・」と怒っているのではないでしょうか。

 

葬儀のあり方を変えるのであれば、それに対応した死生観をしっかり持つべきで、それが持てないのであれば、あまり負担にならない程度に伝統的な方法に従っておくべきだと思います。何も直接郷里の墓まで行く必要はないわけで、自宅に仏壇やメモリアル祭壇があれば良いだけです。

 

 なお、私は10年ほど前までに某寺院の檀家(単にその寺に骨堂がある)でしたが、離檀して近傍の合同墓に納骨してあります。

 

晴れて無宗教となったので、自宅には手造りのメモリアル壇を置いています。古い小さなテーブルの上に、白いテーブルクロスを敷き、その上に花と写真とランプと可愛らしい香炉を飾っています。

 

もうすぐ、お彼岸なので一応合同墓に墓参に行く予定です。その程度で良いかなと思っていますし、そもそも格式のある家系でもないので、特に問題は起きていません。