述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

評論家 宇野功芳先生追悼 中山康樹先生追憶

クラシック音楽評論家の宇野功芳先生がお亡くなりになったとのことで、まずはご冥福をお祈りいたします。

 

news.yahoo.co.jp

 

私は宇野功芳先生の本をすべて読んだわけではないのですが、比較的ポピュラーな著書を読む限り、あくまでも「音楽の感動」を語っていて、譜面を持ちだして来て、「この部分が云々」というようなことを書いていません。私はこの点をとても尊敬しています。

 

譜面を持ちだして解説される方は、懇切に語っているつもりなのかもしれませんが、実はビルの設計図や資材基準表を解説しているのと同じで、ユーザー(リスナー)は、その建物の使い勝手のほうが大事なのですから、なにかと乖離が生じます。

 

音楽であれ映画であれなんであれ、評論家というのは「特定のファン層の気持ち」を代弁するのが任務なので、そういう意味で、宇野功芳先生はヒストリカル演奏家至上主義の人たちの気持ちを代弁していたのだと思います。

 

きっと、敬愛するフルトヴェングラークナッパーツブッシュ、親交があったらしいブルーノ・ワルターなどに弟子入りに行ったのだということにしておきます。

 

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もうひとり、2015年に逝去された「マイルスを聴け」でお馴染みの中山康樹先生も、同じように「音楽の感動」を語る人でした。

 

世代的に典型的なジャズ喫茶育ちなのですが、そこに集っていたであろう極めて保守的なファンの嗜好が嫌いであるところに原点があるように思います。

 

ジャズ喫茶に多く棲息していた保守的なジャズファンの人たちは、60年代以降のロック、ファンク、ボサノヴァ、エレクトリックの導入あたりが全部嫌いで、そうしたものを貪欲に取り込んで独自の世界を築いていたマイルス・デイヴィスの圧倒的な影響力が怖くて、マイルス叩きをやっていることがよくありました。

 

そうした人たちも、先に掲げたクラシック音楽における「ヒストリカル至上主義」の人たちと性質が似ていますが、中山康樹先生はそうした人たちの気持ちは代弁しなかったと云うべきでしょう。

 

中山康樹先生がいくつか主張していることの一つとして「CDになったからといって、未発表の別テイクをいくつも入れることは名盤の価値を貶めることになる」というものがあり、これは実際に音楽配信の分野で改善されつつあります。

 

Amzon Prime Musicでは、50年代の巨匠たちの「12 Classical Albums 」というようなセット音源が会費だけで無尽蔵に聴ける状態になっています。今のところCD時代の「別テイク」というようなものは入っていないようです。

 

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私もさまざまな音楽のファンである以上は、自分の気持ちを誰かに代弁してほしい気はするのですが、思春期からずっと「レコード代/CD代」に相当な経費をつぎ込んできたことを、自分でせせら笑いたいと思っていますので、「配信音源最高!CDは無用!」という人と仲良くなりたいですが、少なくとも自分の同輩でそういう方は見たことがありません。残念です。