<占い師の視点>三人姉妹の宿痾(カルマ)
私は男性なので、姉妹というのがどういうものかについては憶測の域を出ないのですが、恋愛でも結婚でも「どうしてこうなっちゃんだ?」と考えこんでしまう事例について、その方の家族構成を聞いてみると「三人姉妹の一人でした」ということが、たびたびあります。
さて、三人姉妹とはどういうものなのかについて、次のリンクを貼っておきます。
私の知っている三人姉妹の「どうしてこうなっちゃったんだ?」という具体例をいくつか挙げてみます。
1 男性へのデリカシーがなさすぎる
Aさんとしましょう。Aさんは「男性はいつも強くたくましくいつも女性を守る存在」だと信じて疑いません。とはいっても、男性も人間なのですから激しく体をどこかにぶつければ気絶するほど痛いし、落ち込んでいるときには女性から慰めの言葉の一つもかけてもらいたいものなのですが、Aさんはそういうことには一切関心がありません。
彼氏さんが階段から足を踏み外して痛がっているのを見て大笑いしていたり、仕事が忙しくて疲れきっているのを見て「疲れたサラリーマンみたいな顔をしないで!」と怒ったりします。
これは、Aさんが男性というものをミケランジェロのダビデ像のようなものだと思っているということです。
当然、夫が浮気に走って離婚したのですが、Aさんがその浮気相手の居所を突き止めて、「ドロボウ猫!ビッチ!このクソ女」などと喚き散らしたところ、その浮気相手さんから「だって、奥さんに愛情がないからこんなことになるんでしょう?私はあんな男、どうでもいいんですよ(笑)」と説教されて絶句したのだそうです。
2 "自由に生きていいんだよ"と言われたもののロクな人生を歩んでいない
たとえば、男の子一人、女の子一人というような家庭だと「息子には、立派な社会人になってもらって、娘にはほどほど稼ぎつつ、一応嫁にも行って安定した生活をしてほしい」というのが一般的な親の願いです。
もちろん、子どもには子どもの人生がありますから、そうそう親の期待に沿うような人生を歩むかどうかはわかりませんが、親が望むような人生がそれほど悪いものでもないという場合には、たいていの子どもはそれに近い人生を歩みます。
ところが、三姉妹の場合、全員が女の子なわけですから、親は「すでに、姉二人は安定した平凡な暮らしをしているから、末っ子には自由な人生を歩ませてもいいのではないか」と考えること場合がときどきあるようです。
ところが、世の中「自由」ほど苦痛なものはありません。魯迅の名言にあるように「もともと地上に道はない。歩く人が多ければそれが道になるのだ」 とのとおり、前人未到の道を行くのは死を覚悟しなければなりませんし、うっかりその未踏の道へ途中まで行ってしまうと戻れなくなってしまいます。
無限の可能性を試した結果、精神に変調を来して「生活保護を受給している」という人が結構います。いっそのこと親の束縛があったほうがよほどマシだったのではないかと思えます。
3 いつも姉にいい思いばかりされていたため、人のものを盗りたがる
これは、ときどきいる「略奪愛」が大好きな女性ですね。盗ったら飽きます。
もちろん、すべての三姉妹がそうだと決めつけているわけではありませんが、占いの例としてこうした例を多くを見ますので、もし該当の方がいましたら、深くご自身を洞察して、「自分は何をどういう人生を歩みたいのか」を早いうちに考えて決めておいたほうが良いと思います。