《繰り言》ニッポン限定 マル・ウォルドロンとジャッキー・マクリーンのクリスマスディナーショー(笑)
日本における洋楽受容の歴史は、仕方がないことではありますが、レコード中心です。アメリカなりヨーロッパなりでミュージシャンがリアルタイムでやっていることと、日本での洋楽文化で盛り上がっていることとが相当に異なるため、なにかと珍事が発生いたします。
その一例として、モダンジャズ名盤100枚とかいう企画をやったら必ずエントリーする作品の一つである、マル・ウォルドロン名義でジャッキー・マクリーンが加わった「レフト・アローン」騒動が挙げられます。
1980年代後半、プラザ合意後のバブル騒ぎで、金の使い道がなくて困っている善男善女にお金を使っていただくべく、「あの名演 レフト・アローンを日本でもう一度!」の珍事を記憶しているので、書きとどめておこうと思います。
<その1 マル・ウォルドロン編>
マル・ウォルドロンというピアニストは、技巧はともかくタッチが「重い」「暗い」「黒い」ことで知られる名人で、その方を日本にお招きしてディナーショーをやってしまったあたりが困りものです。
とは、言いつつ私がどういうわけかそのディナーショーに行ったというちょっと気恥ずかしい記憶からの抜粋です。
彼のピアノが重々しく「♪ジングルベル」のワンフレーズを弾き、わりと適当なステーキディナーに、別オーダーのワインを飲みつつ、これがオシャレというものだろうかと首を傾げながら、ひととおり聴きました。
もちろん、レフト・アローンは演奏せず、確か自作曲半分、スタンダード・ナンバー半分というセットリストだったはずです。特にデューク・エリントンの曲が多かったと記憶しています。
なお、飲み食いしながら演奏を聴くことが悪いとは思っていません。同じくマル・ウォルドロン参加でエリック・ドルフィーの名作のひとつとされている、「アット・ザ・ファイブ・スポット VOL1 VOL2」も、おおむね同じような状態で録音されています。
ただ、あまりクリスマス向きの音楽ではないなぁとは思います。
<その2 ジャッキー・マクリーン編>
こちらもクリスマスでしたが、かなり狭いジャズ・クラブでの演奏でした。
ジャッキー・マクリーンというアルト・サックス奏者は、日本ではリーダーアルバム以外のところで有名な人で、チャールス・ミンガスの「直立猿人」とソニー・クラークの「クール・ストラッティン」(ソニー・クラークも日本だけの人気のようです。)そして、「レフト・アローン」が日本での三大名盤とされています。
よって、セットリストの中に知っている曲はほとんどなく、聴衆も酒とおしゃべりに夢中でしたが、演奏が終わって袖に引っ込むと、一斉にアンコール大合唱。
もちろん「レフト・アローン演奏してね」という意味です。
予定どおり出てきて、本人のソロで「ものすごく適当に」テーマフレーズを吹いて終わりです。
お二方ともに、「レフト・アローン」の演奏には乗り気ではなく、これは一般ピープルの私が、カラオケに行って「たまたまその歌を知っている」というだけで毎度同じ昔の曲を延々リクエストされるのが苦痛であるのと同じでしょう。
そのお二方を拝み倒して、高額のギャラを払って再演していただいたのが、この映像資料です。
そして、その世評はといえば「オリジナルに到底及ばない気の緩んだ演奏」とのことで、それは最初から分かっていたことなのですから、要するにムダ金だったという結果です。
マイルス・デイヴィスが「俺の昔のフォービートジャズが聴きたいなんて奴はレコード聴いていれば良いだろう」と発言したのと同じで、レコード文化が暴走しすぎてこんな珍事になったのでしょう。
同じころ、日本ではこんなことになっていました。(笑)
レフト・アローンをネタにした角川映画「キャバレー」という映画を流行らせるための戦略だったのでしょうが、私にとって、アルバム「レフト・アローン」の白眉は、2曲目の「キャット・ウォーク」という曲です。
私の周辺のジャズファンからもそういう意見が上がっていて、「レフト・アローンは"演歌ジャズ"だけど、キャット・ウォークは素晴らしい」とのことです。
レフト・アローンという曲が崇拝されるのは、この曲を歌ったとされる(録音は残っていません)ビリー・ホリデイ神話の所以だと思いますが、神話というのは後世の人間が死人に口なしとばかりに捏造したものに過ぎないことが多く、そもそもこのアルバム自体がわりと適当なビリー・ホリデイ追悼アルバムだと思います。
iTunesで自由にプレイリストを作れる現在、私がマル・ウォルドロンのリストを作るとしたら、「キャット・ウォーク」「ソウル・アイズ」「ファイヤー・ワルツ」などがメインになるかと思いますし、「レフト・アローン」も悪くないのですが、今回書いたような騒動を思い出すと、なんだか気恥ずかしいという思いがいたします。
そのような1980年代のバカな思い出を書き綴ってみました。