《繰り言 音楽ネタ》マイルス・デイヴィス1983年来日コンサートの思い出
1980年代は、日本も金満になったからなのか、世代交代であいも変わらずの股旅演歌や極道演歌を好む人が減ったからなのか、やけに大物外国人ミュージシャンの来日が多くなったように思います。
そして、その頃、私は「極めてヒマ」だったため、結構多くの来日公演に足を運びました。
おおむね、ジャズ・フュージョン系が多かったのは、私の好みですが、その中でも、「まさか見ることができるとは思わなかった」マイルス・デイヴィスの来日コンサートに行きました。
チケット代が全席10000円という結構な高値で、かつ、その理由の一つはギル・エヴァンス・オーケストラとのコラボコンサートだったことにあったようです。(共演ではありません。)
実は、誰もギル・エヴァンス・オーケストラを聴きたくなかったというのが本音だったようですが、その辺は気にしないこととして、マイルス・デイヴィスの1983年ライブの記録です。
メンバーは
マイルス・デイヴィス(トランペット&キーボード)
ビル・エヴァンス(サックス)
マイク・スターン(ギター)
ジョン・スコフィールド(ギター)
トム・バーニー(ベース)
アル・フォスター(ドラムス)
ミノ•シネル(パーカッション)
今では映像資料もありますので、おおむねこういう演奏です。
マイルスのトランペットプレイについては、「空間を斬る」とか「サムライ・トランペット」とか表現されていましたが、もう少し音楽的に書けば、たとえばドラムがフィルインして「3、2、1、ハイ♬」というようなタイミングでは絶対に吹かないということです。
「いつマイルスがトランペットで出るのかわからない」状態でバンドがガンガン演奏し、マイルスが延々とキーボードを弾いているだけの状態が5分近く続き、いよいよ聴衆もジレてきた頃を見計らって、意表を付くタイミングで、♬パララララッと凄い勢いで出るので、聴衆が一斉にのけぞりつつ、盛り上がるという演奏です。
そして、親方マイルスが飽きたり、疲れたりすると、ビル・エヴァンスに交代して演奏が続きます。
マイルスが乗っているときには、ビル・エヴァンスの出番はなく、ただ突っ立っているだけでした。
ちなみに、アル・フォスターという人は、親方にけっこう逆らう人だったようで、アル・フォスターが「さっさと吹け!!」という感じでフィルインしているのに、マイルスがガン無視している様子を、1975年ライブの「パンゲア」収録「ジンバブエ」冒頭で聴くことができます。
スローブルースを演奏するときには、ステージ前面に出てきて、前屈状態で吹きます。
聴衆が歓声を上げると、「静まれ!!」という感じで手を出して静止。そのままミュートで吹き出します。
自分のフレーズを、わりと中途半端な状態で止めてそのままギター(マイク・スターンまたはジョン・スコフィールド)に引き継ぐという演奏でした。
演奏が終わって、MCも挨拶もなしでバンドメンバーを引き連れてステージ袖に撤収。その際、トランペットを高く掲げてガッツポーズ(笑)
当然、アンコールもなし。カッコいい人です。
このようなコンサートだったわけですが、後半がギル・エヴァンス・オーケストラの演奏で、実は聴きたくなかったという人も多かったものの、「もしかしたら共演するかもしれない」という変な噂が流れていた関係で、ほとんどの人が残っていました。(もちろん、共演するはずがありません。)
ギル・エヴァンス・オーケストラのほうは、メンバーの一人として来るはずだったデヴィッド・サンボーンがドタキャンになったので、かなりの聴衆が怒りモードでした。
代わりに、日本のトランペット奏者、大野俊三氏が参加していました。
この人です。
参加して間もなかったからなのか、前半が帝王マイルスだったからなのか、すっかり萎縮なさっていたようで、大野氏のトランペットソロの時だけリズム隊がガンガン盛り上げて、暖かく(?)応援していました。
そして、なぜかジャコ・パストリアスが聴きにきたようです。私は確かめていないのですが、長身、長髪、足がでかい外人さんがいて、いかにもミュージシャンという感じのオーラを出していましたから、誰だろうと思っていたら周囲の人たちがそのように噂していました。
今は廃刊になったスイングジャーナル誌が、1980年代、アコースティックジャズの絶滅を極めて憂慮して、何もそこまでというくらいウィントン・マルサリスを持ち上げながら、マイルスへのネガティブ・キャンペーンを張っていました。
ウィントン・マルサリス。確かに素晴らしい「演奏家」だと思いますし、技量も凄いと思うのですが、あいにくとリスナーはトランペット奏者ではないので、「表現者」としてのマイルスへの人気は不動だったということです。
そのような思い出を語ってみました。