述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

疚しさが積もる戦後70年 「礎論」と「安部総理談話」

今年は戦後70年ということで、またぞろ「あの戦争を語り継ごう」という企画をあちこちでやっているのですが、いわゆる大東亜戦争がなぜ起こり、どのように終結したのかについては語り尽くされているし、資料も残っているのですから、私はむしろ「戦後」を語り継ぎたいと思っていました。

 

毎日新聞に大変面白い記事が載っていたので引用してみます。

戦争犠牲者は戦後の平和と繁栄の礎だった−−。首相から庶民まで当たり前のように言いならわす決まり文句を、埼玉大准教授の一ノ瀬俊也氏は「礎論」と名付けて批判する。

 戦場の飢えや虐待で落命し、空襲に焼き殺された人たちは、自分がこの業苦を受忍すれば、日本は平和に栄えると信じて死んだか。

 戦後は、尊い犠牲のお陰で築かれたのではなく、無数の不条理な死にもかかわらず幸せを享受してしまった。「礎論」は、生き残った者たちがやましさを取り繕うため、論理をねじ曲げて唱和している。そこには戦争や支配の罪と責任から逃げたい集団心理が潜む。だが、口にするのも耳で聞くのも心地よい理屈は、国の隅々まで浸透し、事ごとに持ち出される。

 

 

http://mainichi.jp/shimen/news/20150821ddm002010128000c.html

 

まったく我が意を得たりとはことのことです。

 

日本の戦後は確かに焼け跡から始まりましたが、米国の予想外に寛大な占領政策と、1950年代朝鮮戦争と1960年代ベトナム戦争の補給基地特需で復興したのであって、戦没者功徳によるものではありません。

戦中世代を親に持つ団塊の世代は、「生き残った」親世代の抱える疚しさ(戦争の被害者面をしている大人たちは、中国朝鮮への加害者ではないか!)を告発はしたものの、就職するころにはすっかり丸くなり、全共闘の残党も「体制内からの変革」などという名目を掲げつつ、すっかり体制べったりになっているのも疚しさの連鎖でしょう。

1980年代には、貿易輸出超過に伴う協調為替介入(プラザ合意)への対策で景気刺激政策が取られて、そのまま実体なき好景気(バブル経済)を経過。

経済面でも社会面でもバブルが終了したのは1995年ころだと思いますので、そのまま「失われた20年」を経過したのが今年2015年だと思います。

 

「礎論」は、日本が米軍占領下にあることから目を背けたいがための詭弁だと思いますし、それを言い出せば東西冷戦の代理戦争を引き受けた南北朝鮮とベトナムの犠牲者も礎でしょうし、日本への二度の原爆投下の被害者は、日本占領にあたってソ連の影響つまり南北分断をさせないための礎です。

ときに、戦後70年にあたっての安部総理の談話が発表されました。多くの識者や官僚が校正を重ねた末での文章ですから、「礎論」がまったく出てこないわけではないものの、後半部分はこれまでもっぱらサヨク筋が訴え続けてきた平和論よりも、さらに踏み込んだ内容となっており、評価集計はこれから行われるでしょうが、私は文章それ自体については高く評価したいと思います。

 

www.kantei.go.jp