述而不作 いにしえの未来

占い師の見てきた世の中を語ります 遥か古代から続く終わりの始まりを見据えて

(読書感想文)「さよならインターネット」家入一真 著

 この数年、なぜ世の中が面白くなくなったのか、どうしてワクワクできることが少なくなったのかという、私の疑問にある程度解決を与えてくれた新書です。 

 

著者の家入氏は、かつて引きこもりとしてつらい日々を送っていたころ、インターネットという存在を通して多くの仲間に救われたという、1990年台にはよくいたタイプの人だとのこと。

 

一方、イマドキの若い人から、「インターネットが好きだなんて、まるでハサミが好きだというようなものではないか」という指摘を受けて、衝撃を受けたというのが、この書物執筆のきっかけになったようです。

 

私は、インターネットがハサミだとは思っていませんが、電気や水道のような「途絶えさせてはいけない」インフラに過ぎないだろうと思っています。

 

一方で、「断捨離とミニマリスト」というここ数年の流行がインターネットの最大の成果の一つだろうと私は思います。

 

私はかつて膨大な書籍とCDに溢れて暮らすのが快適でしたが、現在は自室の八畳一間に必要なものの全てが詰まっています。CDも書籍もありません。

 

断捨離は、箪笥の肥やしなっている洋服やバッグなどを一度放出させて、新しいモノを買わせようという戦略的なブームだったようですが、ミニマリストというのはあらゆる情報をデータ化して、それをクラウドに上げてしまえば、PCとスマートフォンと最小限の着替えがあれば数ヶ月くらいは住所不定でも暮らしていける世界を目指しているように思います。

 

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多くの仲間とつながっているのではなく、よく知っている仲間とだけつながっている手段としてのインターネットは、むしろ閉塞的ではないかという家入氏の指摘は、私も同感です。

 

実際、私がLINEでつながっている中学時代の同級生のうち、女子はおおむね同じ頃に結婚し、同じ頃に子どもが生まれて、同じ頃に子育てをしていますから、早晩子どもの就職や結婚の話と、孫の話と、嫁の悪口と自分の病気の話しかしない老人になるのは明らかで、なんのことはない、昭和の頃の井戸端会議の電子版でしかないだろうと思います。

 

かつて流行していたオートキャンプも、アウトドアスポーツも一部の愛好家だけのものになり、IT化の波に乗れなかった中年男性は「旧車會」などという無様なことをやるしかなくなり、かつて書物と音楽と映画を友としていた私は、その大半がAmazonで事足りるようになって、生きていくうえでのコストがかからなくなりました。

 

それに代わる新たなコストとしてプロバイダー代とMVNO代が毎月10000円ほどかかっているわけですから、もう諦めてインターネットをインフラとして存続させながら、ゆるやかに昔に戻ったのだと考えるしかないだろうと思います。

 

未来志向を突き詰めれば必ず過去に戻ります。

 

このブログも  「述而不作 いにしえの未来」というタイトルですから、私の確信もますます固まるばかりです。