レコードと紅茶が高級だった頃(消費税の前=物品税)
年寄りの繰り言を書くのも冴えない話ではありますが、昨今世の中の主流の人たちが「消費税施行後」に社会人になっているので、それ以前のモノの価値観が今とは違うというお話を書きたいと思います。
まずはネット上の資料です。
世の中のモノの価値観は、一般に希少で高額なものほど価値が高いことになっているのですが、それはモノそれ自体の価値ではなく、価格に転嫁された税金を積み上げたものとなっています。
たとえば、1968年のレコード1枚の税込み価格は約2000円で、当時の大卒初任給が30000円程度ですから、月収の約7%となります。現在の月収20万円の人に換算すれば14000円ほどの買い物に相当します。単純計算ではそうなります。
14000円といえば、現在のCD価格レートでは4〜5枚買えるわけですけれど、そんな人が現在どれくらいいるでしょう。
日本における西洋音楽受容はレコード鑑賞が中心で、気軽に生演奏(ライブ)に行く機会が少なく、そもそも日本のクラシック音楽専門誌の名前が「レコード芸術」というくらいなのですから、日本のコアな音楽ファンがLP(CD)をありがたがって集める傾向はおそらく変わらないでしょう。
次に紅茶です。
いわゆるお茶は1000年以上昔から中国経由でもたらされていて、すでに日本文化として普及していましたが、紅茶がもたらされたのはおおむね明治以降です。(日蘭貿易の伴天連輸入物の中に紅茶があったかもしれませんが)
これは私の記憶でしかないのですが、1970年台までは紅茶に輸入制限がかけられており、自由化後も物品税が課せられていたはずです。(コーヒーは非課税だったと思います。)
よって、希少で高額なものが大衆に普及するには時間がかかり、日本の「喫茶店」で提供される紅茶も、適当なティーバッグにお湯とレモンが付いているだけだったり、ロシアンティーと称するジャム入り紅茶だったりしました。
さらに1980年頃(たぶん)に入ってから烏龍茶という中国茶(当時としてはわけのわからないもの)が輸入されてきて、茶のアイデンティティがすっかりわからなくなったころに消費税が登場しています。
なお、烏龍茶の功績のひとつは、飲み会で「ノンアルコールオーダー」の対象となって、水商売系の発展に寄与したことです。
昨今増えているようですが、居酒屋に行ってドリンクオーダーなしで水を所望する客はやはりお店としては困るわけですし、いわゆる「夜のお姉さん」たちがお客さんと乾杯をするのに、いちいち水割りを飲んでいてはやはり困りますから、烏龍茶の登場は大変良かったようにも思います。
現在、カフェに行けば珈琲、紅茶、中国茶、ハーブティその他あらゆる種類の飲み物がオーダーできますが、お店のほうもそれらを全部提供するのは不可能ですから、ある程度専門化が進んでいます。
その他、物品税に関しては、「コタツは非課税でストーブは課税、エアコンももちろん課税」というのもありましたので、真夏と真冬は冷暖房が完備している喫茶店でコーヒー一杯で何時間も長居する人がおり、いまでも関東以西の人は冬になると「ストーブなし、コタツのみ」で頑張るのが基本のようです。
コタツそれ自体が文化だから禁止することもできないのですが、決して体に優しいわけでもありませんから、冷暖房/除湿加湿/空気清浄を全部兼ね備えたハイグレードなエアコンの普及が待たれるところです。
乳幼児、老人、病人のいる世帯を対象に助成金を出せばそう難しくはないと思います。
消費税も最初の実施から25年を経過し、次年度国家予算成立を2ヶ月延期させて、最後の賛否投票の際には牛歩戦術をやって抵抗していた旧社会党も、今思い出せば国民がいい迷惑だったと思います。
最後にレコードの話に戻るのですが、レコードの後継であるCDが日本で最も売れたのは消費税施行後の1990年代です。それが果たして音楽文化に貢献したのか衰退を招いたのか、私には分かりません。
ただ、あらゆるジャンルに共通して90年台(つまり消費税施行後)は世界レベルで「新曲、新音楽は要らない」という、進歩主義を発展的に解消させる動きになりましたので、その結果として過去の未発表音源の発掘が促進され、現在はそれが飽和した状態なのではないかと思います。
消費税はあらゆる購買に対して均一課税ですから、何が贅沢で何が贅沢でないかは市場原理に委ねられることになり、それによって栄えた文化もあれば滅んだ文化もあります。本来それがあるべき姿なのでしょう。
まとまりのない文章になりましたが、以上、物品税の話でした。