述而不作 いにしえの未来

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Spotyfyで発見する「日本で嫌われる洋楽」Spotifyでマストアイテムになるイヤフォン

先般、ついに音楽配信サービスSpotifyが国内でサービスを初め、ラインナップを見たところ、私の必要とする音楽の9割はそこに存在することを発見したことを受けてついにサービスに申し込みました。

 

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具体的に「これはイケる」と判断したのが、ピエール・ブーレーズ監修の「ウェーベルン全集」とマイルス・デイヴィス全アルバム、そして、日本ではあまり好まれないマイナーヨーロッパやラテン・アメリカのポピュラーミュージックが堂々とラインナップされていることです。 *1

 

さらに面白いのは、日本では絶対に好まれないタイプのジャズアルバムがあることです。例としてオリヴァー・ネルソン・オーケストラがビートルズのミッシェルをラテンボレロのリズムで演奏しているものなど、聴いているほうが居たたまれなくなるなどという面白い体験が多数眠っています。

 

(誤解のないように書いておくと、これは1960年代にビートルズがアメリカ進出して成功を収めた、いわゆるブリティッシュ・インヴェイジョンの渦中で渋々演奏したものだと思われます。もっと世代が下ってノラ・ジョーンズダイアナ・クラールあたりになると、アメリカンスタンダードもブリティッシュ・ロックも普通に消化しています。)

 

さて、2000年台初頭、AppleiPodiTunesという画期的な製品を売り出して、その結果我が家のそこそこ膨大だったCDコレクションが空っぽになったことをまだ生々しく記憶に留めています。

 

その時、そこそこ膨大にあったCDコレクションは全部売り飛ばしてしまったのですが、音源を貯めておくハードディスクが膨大なものとなり(ディスク故障に備えて冗長化する必要もあるわけなので)ましたが、Spotifyに移行したことで今度はそのハードディスクも必要なくなりました。

 

わずかなローカル音源だけiCloudにバックアップしておけば良いだけです。

 

そして、気がつくのが遅すぎた感もあるのですが、オーディオ装置もイヤフォン(ヘッドフォン)メインになっているようです。

 

やっと発売されたAppleAir Podがその嚆矢となるでしょう。

 

www.apple.com

 

もちろん、高価なオーディオ装置に比べれば音は貧相でしょうし、あまり音量を上げると耳にも良くないというデメリットもありますが、50万円のスピーカーよりも5万円のヘッドフォンというのがオーディオマニアの定説のようですし、高価なオーディオにお金をかけるくらいなら、コンサートに足を運んだり、音楽以外のことに金をかけたり、いろいろと新しいライフススタイルが発見されてくると思います。

*1:なお、Spotifyは洋楽中心なので邦楽、純邦楽、落語、ルーツ民族音楽などはいたって寂しいラインナップですし、B級プログレのような徒花的な音源も充実してはしないようです。ちなみに落語のほうはAmazon Audibleで堪能できます

DOSーV(WIndows)に戻ったぞ

根っからの捻くれ者を自負している自分としては、見た目のオサレ感だけでMacが流行している世の中にいささか愛想ををつかした形で、ほどほどのスペックのDOS-Vマシンを調達して、本格的にWindows10で生活系の環境を作ることにしました。

 

macos sierraになってから、機能的にも出尽くしてしまい、macの機能を代替するWindowsアプリもそれなりに出ていますし、何も「Mac使っている俺カッケー」などと若い人の真似をする必要もなかろうと思います。

 

ただし、メインで使っているアプリケーションの大半はクロスプラットフォームで開発されており、気が変わればまたMacに戻れる状態で使っています。内訳は次の通り。

 

Google Chrome(ブラウザ)

Google日本語(日本語変換エンジン)

VLC(動画再生ソフト)

Audacity(音響処理)

VirtualBox(仮想化)

・Handbrake(動画エンコード

iTunesiPad iPhone母艦) ほか

 

機械構成概要は次のとおり

 

Core i5 6000番台

・RAM 16GB

SSD 256GB

 

ファイル保管用ストレージはiCloudに置き、漸次拡張予定です。

 

PCが大好きだというわけではなく、スマートフォンタブレットで間に合うタスクも多いのですが、やはり長文入力におけるメカニカルキーボードの打鍵の快適さと、ブラウザによる広い作業領域や大きなフォントなどは、まだPCに一日の長があろうかと思います。

 

あと、仮想機でLinuxを使う必要があったり、音響制作のマネゴトをしたかったりする都合もあります。

 

Windows7のサポート期限が2020年となっていて、その頃には買い替え需要が進むのではないかと云われてはいますが、企業における購買業務の理屈でいえば現在のミドルレンジクラスのPCと同程度のリユースPCがあれば十分で、それでもPCを売りたいのであればSurface Proのようなタブレットとのハイブリッド型を普及させるしかなさそうです。

 

PCの時代は終わったとか、ブラウザ(Web)の時代は終わったとかいろいろと意見は出されていますが、結局のところプライベート用途とエンタープライズ用途をどう使い分けるかのお話であろうと思います。

 

いずれにしても、スマートフォンもPCも自分の生活に欠かせないものなので、あえてiOSAndroidに全面乗り換えすることもないようです。

僧院主義で行こうミニマリスト

断捨離とかいうブームは、クローゼットの中に溜まっている洋服類を一度吐き出させて、新たに買い直しをさせようという作為的なブームだったようですが、モノを極限まで持たないミニマリストという生き方は、スマートフォンの急速な普及に伴ってある程度自然発生的に起きてきたムーブメントのようです。

1960年代ヒッピーのような、高度経済成長への違和感表明でもなく、むしろ低所得であることを所与の環境として、前向きに生きていこうという意思のようにも思えます。

ただ、いずれにしてもこういう生活は都市住民を対象としたもので、かつ、オタクっ気がまったくない男性に限られるでしょう。

男女の脳の構造に起因する行動の違いとして、「女性はまだ使えるものを捨てられない」「男性は役に立たないものを集める」というのがあるらしく、確かに男性の集めたがる骨董品とかフィギュアなどは並べて悦に入る以外に何も役に立ちません。

よって、女性向けには断捨離、男性向けにはミニマリストという、ざっくりした区分になるようです。(もちろんやっていることの基本はそう変わりませんが、断捨離に夢中になる女性にはロハスまたはスピリチュアル好きの傾向があり、ミニマリストのほうはIT好きという傾向があります。)

もちろん弊害も指摘されていますので、節度が大切のようです。

http://www.mukyoyo.com/entry/2014/12/05/070641

さて、自分は男性ですが都会に住んでいるわけではないものの、近くにコンビニとスーパーとファミレスとスターバックスがあり、それほど不便ではない都市住民ですから、ミニマリスト生活に向けて漸次不用品処分を行なっています。

ただ、ミニマリストという用語に乗っかるのは流行かぶれみたいで好きになれないので「僧院主義」ということにしておきます。

近代カトリックの聖女 「幼きイエズスの聖テレーズ」は、もし転勤の命令があったら15分以内に準備ができるようにとの教えを授かったとのことです。

修道女は修道服と最小限の下着と私物があれば、どこにでも行くのが基本で、もちろん住居や食堂は赴任先の僧院が準備するわけですから、一般人といっしょにはできませんが、なるべくそれに近い生活を模索してみます。

持ち物リスト
iPhone(電話とメールとSns)
iPad(読書と映画&音楽鑑賞と書き物)
Bluetoothスピーカー
◯冷蔵庫
◯電子レンジ
◯食器とヤカン
◯着替え
◯布団

持ちたくないけれども、仕方がなく持っているのがクローゼットと洗濯機と自家用車です。
交通網が未整備な地方都市ではクルマは持たざるをえないのですが、ウォークインクローゼット付きの部屋ならクローゼットも箪笥も必要なく、コインランドリーまたな洗濯代行サービスを使えば洗濯機も要りません。

かつて転勤族をやっていた関係でベッドも持ちません。

パソコンをどうするのかといえば、実は必要な時だけネットカフェに行って集中作業をすればよいということになっています。


Google環境があれば、一度サインオンするだけで、事務仕事環境は継続できます。

もっとも、私の場合はクラウド管理や音響制作を趣味としているので手放していませんが、パソコンというのも、あまり魅力的な商品ではなくなりました。

一応、こうした僧院主義をやってみようとは思うのですが、そのうち何か魅力的な商品が出ればまた皆でそれを買いだすだろうとは思います。

ボブ・ディランのノーベル賞と末期CD業界を考える

なにやらボブ・ディランノーベル文学賞候補になったとのことで、本人は辞退するとも喜んで受けるとも云っていないのでまだ先がわからないのですが、本邦においてボブ・ディランなる人の名前はほとんど知られておらず、下手をしたらそのお名前を拝借した「ホフ・ディラン」のほうが有名かもしれないので、こんなまとめができています。

 

matome.naver.jp

 

さて、私は洋楽であれ邦楽であれ、歌詞に感動して音楽を好きになったことがないので、「ノーベル賞受賞 ボブ・ディラン詩集 豪華装丁版」とか「ボブ・ディラン・コンプリートCDボックス 豪華詩集ブックレット付き」などといって、出版界やCD業界が騒ぐであろうことがすでに想定されることを思うと、なんともやるせない思いです。

 

歌というのは、もともと言葉の抑揚や音素が発展したものだろうと思いますので、歌詞だけ取り出されて文字で示されても困りますし、しかも、「彼が」とか「私が」とか「その」とかいう、日本語ではあまり使用されない代名詞が翻訳の過程で入り込みますから、一層意味の分からないものになるだろうと思います。(日本語の代名詞はそれが話されている状況によって変わります。)

 

CD業界も円盤それ自体が売れないものだから、確実に売れる大御所の大して珍しくもない音源をリマスターして豪華装丁版としてリリースし、取れるところから確実にカネを取るという末期症状になっています。

 

もう、こんなCDボックスセットは音楽ファンに失礼だろうとしか思えません。

 

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 別に商業主義が悪いというわけではないのですが、ディランのノーベル賞が一番画期的だと思うのは、一応の「音楽」(歌と音楽は別だと考えるのか同じだと考えるのは別にして)、テキストが付いたものであれば「文学賞候補になりうるということでしょう。

 

それにしても、今回のボブ・ディラン候補ノミネートは音楽に対してなのでしょうか、歌詞に対してなのでしょうか。

面接官をやったことがあるのでその時の話を書いてみるよ

 

しばらく前に人事の面接官をやったことがありますので、その話を書こうと思います。 

 もっとも、正社員の面接ではなく、短期の非常勤職員の面接で、通年雇用ではないものの、正社員と同様の職務をこなしていただく必要があり、アルバイトの面接よりはかなり格が上がります。

 

doda.jp

 

私は人事担当ではありましたが、管理職ではなく、本来採用面接というものは管理職が行うのが基本ですが、なにしろ採用の条件が「PCスキル必須」というものだったので、他人のPCスキルが分からないどころか、自分のPC操作もおぼつかない管理職からの丸投げ で私が担当しました。

 

人事にとって一番怖い言葉、それは「人事の目は節穴か」です。雇ってはみたものの、小便の仕方から教えなければならないようでは困りますので、相当真剣に対応しました。

 

とはいっても、採用の最重要ポイントは「見た目」です。つまり、スーツ姿がシャキッと決まっている人は、おおむね能力も高いことが多いので、業務経歴を確認して、履歴書を見て持っている資格をチェックする程度でした。つまり「気合」で決めていたというのが実態です。

 

採用対象者は基本的に事務担当の社員ですから、応募者は圧倒的に女性が多いのですが、一番面倒だったのは社内事情です。

 

私が採用を決定した女性には、次のようにお話していました。

 

「今回あなたを採用したのは、あなたの能力と保有資格と経験に照らして当社で是非働いてほしいと思うからであって、女性を優遇したわけでもないですし、美貌などで選んだわけでもありません。業務の一部に接遇があり、これは早い話がお茶くみです。あなたの給料の中にお茶くみが含まれていますから、女性の仕事だと決めつけているわけではありませんし、あなたにたまたまお願いしているというだけです。配属先は男性の多い職場ですので、もしセクハラまがいの言動があった場合にはすぐに私にお知らせください。」

 

 この件について、お茶汲みの話はもはや遠い昔なのかと思いきや、そういうことをやって差別化(素直になんでもやる女性であることをアピールしたい)を図りたい女性正社員の目と、事務系社員が結果的に女性ばかりになっていることについてのポジティブアクション反対派の目があり、早い話、女性が女性の足を引っ張っている構図はもう何十年も変わりません。

 

いつの時代も人事は面倒であることに変わりはないのですが、もし就活生さんが現役の学生さんであって、学業に余裕があるのなら、インターンシップになるべく通って、スーツ姿がサマになるようにしておいたほうが良いと私は思います。

 

こういうこと(意識高い系)をいくらやっても、人事の目は節穴ではありませんから、ちゃんと見抜かれていると思います。もっともそれはある程度のしっかりした企業の話であって、世の中には100人採用して10人残れば良いという博打のような人事をする会社もありますので、まぁ就活生も見る目を養っておいたほうが良いでしょう。

 

matome.naver.jp

 

 

Apple MacOS sierraとiOS 10に関して現時点の雑考

 

良くも悪くも、「レガシーなものは容赦なく打ち切る」というAppleの方針は今回も遺憾なく発揮され、一方で新機能の目玉らしきものは特になく、「アプリで間に合っているものをわざわざ実装しないでほしい」という苦々しさを思いながら、2016年のApple製品を考えてみます。

 

applech2.com

 

(1)iOS10について

 

先日のアップデートでiPhoneSEをiOS10にしましたが、持ち上げてスワイプするだけで頻繁に使うアプリがすぐに使えるのは、まぁそれなりに便利ではあります。

 

とはいっても、この辺のことは「Hey siri」と呼べばやってくれる一方で、人前でこういう声を出してiPhoneを使うのは、いかにも流行りもの好きな中年男のようで、恥ずかしいという理由から、せいぜい自宅でタイマーをセットするくらいしかやっていません。

 

待望の新機能は「ホーム」なのでしょうが、国内製品で対応しているものがなく、どうせSONYあたりが独自規格を出してきて、「これだからガラパゴスジャパンは・・」と云われるのでしょうから、海外製品に期待してみましょう。

 

(2)macOS Sierra

 

今のところ、「HFSファイルシステムの廃止」が最大の問題で、なにしろ外付けHDDが全部これなものだから、移行をどうするのか真剣に検討しないとダメなようです。

 

Windowsの世界では、「万が一にそなえて外付けはFATにしておけ」という言い伝えがありますが、実際にコンビニ端末などでもFATしか相手にしていない状況なのですから、いくらAppleが新ファイルシステムを出してきてもそう簡単に普及はしないと思います。

新機能については、Siriが使えたといってもそういうものはiOSで用事が済んでいるわけですし、況してやキーボードやマジック・トラックパッドで自在にファイルマネジメントができる状況で、少なくとも健常者には不要ではないかと思われます。

 

ただ、私の場合には服薬の時間や膝のリハビリの時間をリマインダーで通知してもらっている関係で、音声案内であれば少しはやる気もできるかなとも思います。

 

野良アプリの追放が掲げられていますが、どうせ囲い込みをするのであれば、インターフェースが一定基準を満たすものを推奨したほうがよろしいかと思います。

 

一部の「神アプリ」と呼ばれるもの以外は、器用貧乏なアプリが多く、あれこれ色々なことはできるものの、全体としてダイナミズムがないのは困ります。

 

Optimize Strage機能は、システム管理の基本中の基本をMacにやらせるということで、可能ならば無効にしておきたいところです。

applech2.com

 

続きは、リリースされた後にまた思いつけば書いておこうと思います。

 

3 watchOS

 

Appleウォッチ2が完全防水になったのは大変良いことなのですが、ホーム機能と連動していないとありがたみがなく、この製品はまだしばらく様子見にしておきます。

 

そのようなことで。しばらくはレビューが出るでしょうから、その辺を見ながら追記していこうと思います。

 

(コンサート見聞録)板倉康明氏監修「これからの音楽 音楽のいま」

9/15日 札幌キタラホールで板倉康明氏のプロデュースによる「これからの音楽 音楽のいま」というテーマのコンサートに行ってきましたので、感想を書きたいと思います。

 

ブーレーズの「デリーヴ1」と武満徹の「雨ぞ降る」以外はすべて若手作曲家による新作集となっており、演奏曲目は次のとおりです。

 

ピエール・ブーレーズ「デリーヴ1」

薮田翔一「Reflect」

小山隼平「歯車」 語りと室内楽のための

酒井健治「秋の協奏曲」~6人のアンサンブルのための

阿部俊祐「隣人のいない部屋」~三角みず記の詩による語りと音楽のための

武満徹「雨ぞ降る」

 

若手作曲家の新作はいずれも、「古典的な前衛音楽」と形容するのが一番ふさわしく、小山氏の作品だけは、いわゆる「ミニマル的な」反復が特徴的ではありましたが、全体的に「はっちゃけた」ところのない生真面目な作品が連なっていました。

 

それはそれで面白い部分もあれば、何かと考えさせられる部分もありましたので、それらの感想を書いてみます。

 

<語りを伴う作品について>

 

日本人が日本語の語りを聞くと当然ながら意味がわかってしまうわけで、意味が分かるとその内容のほうにばかり注意が行ってしまい、音楽を楽しめないということがしばしばあります。

 

小山隼平氏の「歯車」は、芥川龍之介の詩の朗読に音楽が随伴している曲で(立ち会っていた作曲者がMCでそのように云っていましたのできっとそうなのでしょう)、予想通り聴衆は配布されているテキストを目で追っているだけの状態になっていて、さっぱり音を聴いていないという些か残念な結果になっていたようです。詩の朗読会ではないのですから。

 

一方、阿部俊祐氏の「隣人のいない部屋」は、詩人もまったく知らない人で、詩の内容も具体的な情景を描写しているわけでもなく、そもそも意味がわからない状態でしたから、それが奏功して良い感じで聴けました。

音のほうは、旋律らしきものがほとんどない部分から、なにやら調性的な響きまでいろいろと変化が多く、今回のコンサートでは非常に楽しめる曲でした。

 

<印象に残った曲または音響>

 

薮田翔一氏の「Reflect」は、標題が音を表していて、たとえば弦楽器のグリッサンド上昇が一瞬でフルートのフラッタータンギングに「反射」するように引き継がれるなど、純粋に音を追っていくと聴きどころが多数あって面白い曲なのですが、文芸要素がまるでなく、詩の朗読系と比べてどちらが訴求力が高いかは、悩ましいところです。

 

その他、それぞれ別の曲ですが、全休止したあとに、ヴィブラフォーンの余韻だけがウォーンとなっている部分や、ヴァイオリンのボウ(弓)でマリンバタムタムをこする音、鈴を余韻たっぷりに鳴らす音などは、私の好みですので、楽しく聴かせていただきました。



<現代音楽コンサートというものについて>

 

ミュージシャン本人でも良いですし、評論家のような方でも良いですので、これから演奏する曲を面白く紹介するMCのようなものが現代音楽コンサートには必要なのではないかなと思います。

 

今回のコンサートにしても、武満作品が曲目になかったら、ほぼ関係者しか集まらないコンサートになっていたでしょうし、関係者だけでの新作演奏会はコンクールのようなものになってしまいますから、よほどの物好きでもない限り足を運ばないでしょう。

 

CDの話ですが、相当昔にキングレコードのWERGOレーベル担当者(芸大楽理科卒の女性)とお話しする機会があり、WERGOの現代音楽シリーズの解説を評論家の片山杜秀氏にお願いして好評だったとのことです。

 

音楽学を修めた方には、そういうくだけた文章は書きにくいのだと思いますし、作曲者の意図から離れすぎない程よい距離感を保った「紹介者」がいると作曲家もリスナーも幸せになれるのではないかと思う次第です。