レコードと紅茶が高級だった頃(消費税の前=物品税)
年寄りの繰り言を書くのも冴えない話ではありますが、昨今世の中の主流の人たちが「消費税施行後」に社会人になっているので、それ以前のモノの価値観が今とは違うというお話を書きたいと思います。
まずはネット上の資料です。
世の中のモノの価値観は、一般に希少で高額なものほど価値が高いことになっているのですが、それはモノそれ自体の価値ではなく、価格に転嫁された税金を積み上げたものとなっています。
たとえば、1968年のレコード1枚の税込み価格は約2000円で、当時の大卒初任給が30000円程度ですから、月収の約7%となります。現在の月収20万円の人に換算すれば14000円ほどの買い物に相当します。単純計算ではそうなります。
14000円といえば、現在のCD価格レートでは4〜5枚買えるわけですけれど、そんな人が現在どれくらいいるでしょう。
日本における西洋音楽受容はレコード鑑賞が中心で、気軽に生演奏(ライブ)に行く機会が少なく、そもそも日本のクラシック音楽専門誌の名前が「レコード芸術」というくらいなのですから、日本のコアな音楽ファンがLP(CD)をありがたがって集める傾向はおそらく変わらないでしょう。
次に紅茶です。
いわゆるお茶は1000年以上昔から中国経由でもたらされていて、すでに日本文化として普及していましたが、紅茶がもたらされたのはおおむね明治以降です。(日蘭貿易の伴天連輸入物の中に紅茶があったかもしれませんが)
これは私の記憶でしかないのですが、1970年台までは紅茶に輸入制限がかけられており、自由化後も物品税が課せられていたはずです。(コーヒーは非課税だったと思います。)
よって、希少で高額なものが大衆に普及するには時間がかかり、日本の「喫茶店」で提供される紅茶も、適当なティーバッグにお湯とレモンが付いているだけだったり、ロシアンティーと称するジャム入り紅茶だったりしました。
さらに1980年頃(たぶん)に入ってから烏龍茶という中国茶(当時としてはわけのわからないもの)が輸入されてきて、茶のアイデンティティがすっかりわからなくなったころに消費税が登場しています。
なお、烏龍茶の功績のひとつは、飲み会で「ノンアルコールオーダー」の対象となって、水商売系の発展に寄与したことです。
昨今増えているようですが、居酒屋に行ってドリンクオーダーなしで水を所望する客はやはりお店としては困るわけですし、いわゆる「夜のお姉さん」たちがお客さんと乾杯をするのに、いちいち水割りを飲んでいてはやはり困りますから、烏龍茶の登場は大変良かったようにも思います。
現在、カフェに行けば珈琲、紅茶、中国茶、ハーブティその他あらゆる種類の飲み物がオーダーできますが、お店のほうもそれらを全部提供するのは不可能ですから、ある程度専門化が進んでいます。
その他、物品税に関しては、「コタツは非課税でストーブは課税、エアコンももちろん課税」というのもありましたので、真夏と真冬は冷暖房が完備している喫茶店でコーヒー一杯で何時間も長居する人がおり、いまでも関東以西の人は冬になると「ストーブなし、コタツのみ」で頑張るのが基本のようです。
コタツそれ自体が文化だから禁止することもできないのですが、決して体に優しいわけでもありませんから、冷暖房/除湿加湿/空気清浄を全部兼ね備えたハイグレードなエアコンの普及が待たれるところです。
乳幼児、老人、病人のいる世帯を対象に助成金を出せばそう難しくはないと思います。
消費税も最初の実施から25年を経過し、次年度国家予算成立を2ヶ月延期させて、最後の賛否投票の際には牛歩戦術をやって抵抗していた旧社会党も、今思い出せば国民がいい迷惑だったと思います。
最後にレコードの話に戻るのですが、レコードの後継であるCDが日本で最も売れたのは消費税施行後の1990年代です。それが果たして音楽文化に貢献したのか衰退を招いたのか、私には分かりません。
ただ、あらゆるジャンルに共通して90年台(つまり消費税施行後)は世界レベルで「新曲、新音楽は要らない」という、進歩主義を発展的に解消させる動きになりましたので、その結果として過去の未発表音源の発掘が促進され、現在はそれが飽和した状態なのではないかと思います。
消費税はあらゆる購買に対して均一課税ですから、何が贅沢で何が贅沢でないかは市場原理に委ねられることになり、それによって栄えた文化もあれば滅んだ文化もあります。本来それがあるべき姿なのでしょう。
まとまりのない文章になりましたが、以上、物品税の話でした。
評論家 宇野功芳先生追悼 中山康樹先生追憶
クラシック音楽評論家の宇野功芳先生がお亡くなりになったとのことで、まずはご冥福をお祈りいたします。
私は宇野功芳先生の本をすべて読んだわけではないのですが、比較的ポピュラーな著書を読む限り、あくまでも「音楽の感動」を語っていて、譜面を持ちだして来て、「この部分が云々」というようなことを書いていません。私はこの点をとても尊敬しています。
譜面を持ちだして解説される方は、懇切に語っているつもりなのかもしれませんが、実はビルの設計図や資材基準表を解説しているのと同じで、ユーザー(リスナー)は、その建物の使い勝手のほうが大事なのですから、なにかと乖離が生じます。
音楽であれ映画であれなんであれ、評論家というのは「特定のファン層の気持ち」を代弁するのが任務なので、そういう意味で、宇野功芳先生はヒストリカル演奏家至上主義の人たちの気持ちを代弁していたのだと思います。
きっと、敬愛するフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュ、親交があったらしいブルーノ・ワルターなどに弟子入りに行ったのだということにしておきます。
------
もうひとり、2015年に逝去された「マイルスを聴け」でお馴染みの中山康樹先生も、同じように「音楽の感動」を語る人でした。
世代的に典型的なジャズ喫茶育ちなのですが、そこに集っていたであろう極めて保守的なファンの嗜好が嫌いであるところに原点があるように思います。
ジャズ喫茶に多く棲息していた保守的なジャズファンの人たちは、60年代以降のロック、ファンク、ボサノヴァ、エレクトリックの導入あたりが全部嫌いで、そうしたものを貪欲に取り込んで独自の世界を築いていたマイルス・デイヴィスの圧倒的な影響力が怖くて、マイルス叩きをやっていることがよくありました。
そうした人たちも、先に掲げたクラシック音楽における「ヒストリカル至上主義」の人たちと性質が似ていますが、中山康樹先生はそうした人たちの気持ちは代弁しなかったと云うべきでしょう。
中山康樹先生がいくつか主張していることの一つとして「CDになったからといって、未発表の別テイクをいくつも入れることは名盤の価値を貶めることになる」というものがあり、これは実際に音楽配信の分野で改善されつつあります。
Amzon Prime Musicでは、50年代の巨匠たちの「12 Classical Albums 」というようなセット音源が会費だけで無尽蔵に聴ける状態になっています。今のところCD時代の「別テイク」というようなものは入っていないようです。
----
私もさまざまな音楽のファンである以上は、自分の気持ちを誰かに代弁してほしい気はするのですが、思春期からずっと「レコード代/CD代」に相当な経費をつぎ込んできたことを、自分でせせら笑いたいと思っていますので、「配信音源最高!CDは無用!」という人と仲良くなりたいですが、少なくとも自分の同輩でそういう方は見たことがありません。残念です。
小人閑居してExcelを学ぶ(段階的なExcel廃止を希望する文章)
掲題した文章の元ネタは「小人閑居して不善を為す」(器の小さな人間を暇にさせておくと碌なことをしない)という訓戒なのですが、本人に自覚がないまま、仕事を効率化させようとしてビジネスの現場でExcelに凝りだしていっそう忙しくなっているという話を書きます。
上のブログ主の文章にはおおむね賛成で、現在のところ「脱Excel」の旗を振っている企業のひとつがデータベースエンジンの老舗Oracleですが、確かにRDBMSで構築すべきシステムを、できの悪いExcelでやって満足されていては商売にならないから当然のことでしょう。
まず、このブログでは触れられていない「惨禍」をいくつか補記してみます。
1 VLOOKUP関数でデータベースモドキを構築している
Excelはデータベース的な振る舞いをすることもできますし、ODBCなどで実際のデータベースに接続して、フロントエンドとして使うこともできます。むしろそうするべきです。
VLOOKUP関数は、あるキーを元にして他の表にある値を取ってくる関数で、記法が簡単なのでよく使われますが、たとえば社員番号と社会保険番号のそれぞれの表から値を取ってきて、その表のひとつが同じファイルではなく、他のExcelファイルであるという場合、迂闊にファイルやシートを移動したり更新したりすると大惨事になります。
しかも、参照先も読み書き制限がかかっていないので、まるごとザクッとデータを置き換えると、#N/A(参照用キーにヒットしない)エラーが出ます。そのエラーについて問題がないのか、危険なのかも作成者以外のユーザーには分からないという大変危険な作業です。
2 VBAの参照先がネットワーク的に到達できない場所に存在する
VBA(マクロの実態)はかなり仕様の怪しい言語で、宣言していない変数を突然使っても処理してくれるのは、実は有難迷惑ではないかと思います。
また、マクロの参照先が、D:¥Users¥username¥Desktop にあって、それを別の人の環境に置いて作業をすると、そのマクロを実行するために置かれているボタンコントロールが押せないという悲鳴があちこちで聞こえます。
3 無意味な列結合を多用して「レコード」としての扱いができない
1行目の大見出し、2行目の中見出し、3行目の小見出しがあって、レコード操作に必要な見出しは3行目だけであるという場合、ソートやフィルター操作がうまくいかないことがあって、なんのことはない、そのシートを別のシートにコピーしてから冒頭の2行を削除して集計処理を進めることがよくあります。
また、列方向についても、無意味に結合がされていれば、レコード操作ができません。
こうした惨禍を防ぐためには「基幹システムからダウンロードしたCSVファイルは簡易なデータベースの一種である」ことを周知して、正規化の考え方やunique keyの重要性を懇々と説く必要があるのですが、「よくわからんからExcelのあの機能で処理してしまえ」となります。
-------
Excelは設計もデザインもデータベース操作も分業されていませんから、全部一人の担当者が行うこととなり、ここで膨大なムダが生まれます。
日本の労働基準法制度化では、超過勤務に割増賃金が支給されますから、家に帰ってもすることもない一方で、副業は禁止されているとなったら「もっとも効率の良い副業は残業だ」という邪心が社会通念にまでなってしまい、あまつさえMOSの有資格者がその面倒事の旗振りをしているのはやはり相当困った事態だろうと思います。
そうしたわけで、決してOracleの提灯持ちをするわけではないのですが、私の正直な気持ちとしては、ある集計作業を実施するにあたっては「データベース担当者」「レイアウト担当者」「解析担当者」を分業し(兼業は構いません)、なるべく物事を単純化する方向で考えるべきであるといえます。
↑ なにも女子でなくて良いんですよww 男女で知恵を出し合いましょう。
コンサート見聞録 1985-2015(クラシック編)
幸いにして私はまだ認知症にはなっていないらしいですが、「耄碌」の影は日々忍び寄るもので、これを放置しておくと「俺はサッチモのコンサートに行ったことがある」などという妄言を話しだす恐れがあります。
そうならないための自戒として、自分がこれまで何かの縁で足を運んだコンサートの記録をつけていこうと思います。
1 伊福部昭「交響譚詩」ほか
ほかの演奏曲目を覚えていないのですが、岩城宏之指揮による野外コンサートでした。
岩城宏之氏、さっそうと指揮台に登って軽く会釈したあと、拍手が鳴り止まないうちに演奏を開始しました。おそらく演出効果としてあえてそうしたのだと思います。実際にとてもカッコ良かったです。
2 日本人作曲家によるとてつもない委嘱新作 と チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」
プラザ合意後の金余りの時代に、某大手生命保険会社のお客様招待コンサートにて、その生命保険会社が単独で委嘱した現代作品新作と、誰かのコンチェルトと、チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」の3曲セットでした。
委嘱作のほうは、作曲家も曲名も覚えていないのですが、膨大な打楽器群を伴う作品で、招待客のほとんど全員が「口あんぐり」状態だったのは実に見ものでした。
一応のポピュラーなクラシック作品として「悲愴」が演奏されましたが、この曲を初めて聴く人は、まず第1楽章の展開部でいきなり最強音になる箇所でビックリ仰天し、第3楽章が壮麗に終わった時点で盛大な拍手をしたあと、しんみり終楽章を聴くことになります。
冒頭の現代曲といい、悲愴といい、全体的にあまり幸せになれないコンサートだったように記憶しています。
同じくプラザ合意後の金余り時代に、出入りの業者さんの招待で行ったコンサートです。
ファミリーコンサートの類では、かなりの割合で演奏されているこの曲ですが、あまりにも聴衆をバカにしすぎではないかと思います。
第2楽章は、いわゆる下校のテーマ「家路」ですし、第3楽章も第4楽章も必ずどこかで聴いたことがあるはずで、こういう曲を何百回演奏しても音楽の裾野を広げる結果にはならないのではないでしょうか。
4 高嶋ちさ子、高木綾子、曽根麻矢子(と、イタリアなんとか合奏団)
ヴァイオリンの高嶋ちさ子さん、フルートの高木綾子さん、チェンバロの曽根麻矢子さんによる、まぁ一種の美人ミュージシャンコンサートです。
高嶋ちさ子さんが楽しいMCをしてくれて、なかなか良いコンサートでした。高島ちさ子さんがヴィヴァルディの「四季」から「夏」を演奏、曽根麻矢子さんは通奏低音だから全曲通しで演奏していました。高木綾子さんの演奏曲を失念してしまったのが残念です。
さて、この3人で一斉に演奏できる曲があるのだろうかと思ったら、バッハの「ブランデンブルグ協奏曲第5番」ということで、面白い企画だなと思いました。
5 天満敦子「祈り」コンサート
ヴァイオリン奏者の天満敦子さんについて、私は特別の思い入れはないのですが、オルガンとのデュオによる「祈り」というCDが大好きなので、出向いた次第です。
全般的に年配の女性ファンが多く、ロビーでは「敦子さん、ステキねぇ」という声がちらほら聞こえました。
6 メシアン「トゥーランガリラ交響曲」
おそらく、こんな大編成オーケストラを目のあたりにするのはおそらくこれが最初で最後になると思いました。
チェレスタ2台とピアノとオンド・マルトノがステージ狭しとセットされ、特に物珍しいオンド・マルトノについては、私も含めて初めて見るという人も多く、最前列でしげしげと見ている人が多数おりました。
この曲を聴きに行くような人たちは、自宅でCDを聴いて予習をしてきているので、拍手も堂に入ったものでした。
ほかにも多々あるのですが、思いついたらその時に書くことにしましょう。
引越回数20回を超える転居の達人が語る引越しのコツと恨み言(1)
人が引越しをする理由はいろいろあるでしょうが、おおむね次の3点に絞られるのはないかと思います。(持ち家を除く)
1 転勤、進学、家族数の変動など
2 愛隣関係で問題がある
3 結婚
この3つを全部経験し、その結果、引越しが20回を超えている私が、これまでの引越し記録を書いてみました。何かのご参考になればと思います。
--------------------
1 生家
・年数 10年
・ステイタス 田舎
ボロとはいえ一戸建て、父親の鶏小屋があったり、畑があったりしましたが、なにしろ幼少時代に住んでいたので、覚えていることはほとんどなし。父親の転勤に伴い転居
2 社宅その1
・年数 1年
・ステイタス とてつもないど田舎
会社都合で仮住まいしたものの、同じく会社都合で市内の近傍の別社宅に転居。落ち着かぬこと甚だしい。
3 社宅その2
・年数 9年
・ステイタス とてつもないど田舎
一応落ち着いて住んだ家。思春期をここで過ごした思い出深い家。父親の退職と私の進学に伴い転居
4 賃貸住宅その1
・年数 半年
・ステイタス おおむね都会
極めて住み心地の良い家だったのですが、すでにマンション建設のため売却予定だったにもかかわらず、不動産管理会社が「空き部屋」というだけで売りに出していたので迂闊にも入居。仕方なく市内の近傍に転居。転居費用はオーナー持ちであるとはいえ、腹のたつことである。
5 賃貸住宅その2
・年数 1年
・ステイタス おおむね都会
やっと落ち着いて住めると思ったら、父親が病気急逝。ある程度歳をとって落ち着きついでに油断してしまうと病魔に襲われがちだという訓戒を残し、母親と二人暮らしにぴったりの市内近傍に転居。まぁこれもやむを得ず。
6 賃貸住宅その3
・年数 2年
・ステイタス おおむね都会
本来もっと住みたかったところですが、就職に伴う赴任地が地元ではなかったため、やむを得ず転居。独立心ではありません。
7 独身寮空き待ちのタコ部屋
・年数 一ヶ月
・ステイタス 中程度の田舎
独身寮に空き部屋がなかったため、体よく作業員休憩所に押し込められる。社会人一年生の緊張感に加えて、道路沿いの建物だったため、自動車の音(暴走族ではない)が気になって、相当な不眠症になって下痢も止まらず、なんとか一ヶ月で脱出。よかったよかった。
8 独身寮空き待ちの社宅共同生活
・年数 半年
・ステイタス 中程度の田舎
それでも独身寮に空き部屋が出ず、一世帯用の社宅の一室に三人で共同生活。プライバシーも何もなし。大好きな音楽を聴くこともままならず、休日はほとんど外出ばかりしていた。
9 独身寮その1
・年数 3年
・ステイタス 中程度の田舎
やっと貸与された独身寮の一室。一応の世帯主権限を獲得!! とはいえ、自分の部屋は食堂兼談話室の真向かいだっただめ、酒盛りや麻雀が始まるとやはり相当にうるさい上に、市民オーケストラでトロンボーンを吹いているとかいう男が休日になると、仲間を呼んできてパート練習をやっているものだから、結局、自室は寝るだけという生活に変わりはなし。落ち着かないことである。
10 独身寮その2
・年数 1年
・ステイタス おおむね都会
転勤により、親の家のある街に戻ったものの、親が提示した入居条件(毎月◯万円 家に入れる)よりも、独身寮のほうが安上がりだったため、引き続き独身寮住まい。
山の上にあるので夜景が展望できるステキな部屋でしたが、そういうものは展望台やホテルで見るべきもので、自室から見えても何も楽しくないということを発見。
11 親元
・年数 2年
・ステイタス おおむね都会
理由は不明ながら、親元に戻り、ありがたく給料の大半を自分のモノにして、その金で借金(車のローンなど)を返す。金は天下の周りものという俗諺を実感。
12 社宅その3
・年数 2年
・ステイタス おおむね都会
結婚のため、初めて自分で世帯を構えるための社宅に入居。社宅というのは同じ会社の社員の家族が住んでいいるため、上階の騒音がうるさくても言い出せず、忍従の日々。そのうち自分の転勤に伴い転居。よかったよかった。
13 賃貸住宅その4
・年数 2年
・ステイタス 田舎
初めて自分の稼ぎで住んだ2LDKの賃貸住宅。やはり隣家の騒音に耐えられず2年で転居。無念
14 賃貸住宅その5
・年数 2年
・ステイタス 田舎
オートロック&オール電化のマンション。こんなステキなマンションは生まれて始めてで感動したものの、住居がステキだと出不精になって精神的にはいろいろと問題がが出るものだと実感。転勤のため転居。
15 社宅その4
・年数 一ヶ月
・ステイタス 都会
上階の娘さんがフルートとピアノを各1時間ずつ練習するという壮絶な家であることに加えて、2時間近い通勤の苛酷さに耐え切れず脱出。
16 賃貸住宅その6
・年数 2週間
・ステイタス 都会
通勤時間を再優先して駅まで5分の物件に転居。しかし早朝から深夜まで響く列車の音に耐えかねてここも転居。
17 賃貸住宅その7
・年数 1年間
・ステイタス 都会
やっと安心できる物件に転居。2LDKだったものの、バス・トイレ共通だったことが唯一の不満。転勤のため撤収。
18 社宅その5
・年数 3年間
・ステイタス やや都会
仮住まいのはずだったのですが、いよいよ転居も面倒になったので結局3年ほど住むハメになる。退職と同時に退去。
19 賃貸住宅その8
・年数 3年間
・ステイタス やや都会
可もなく不可もない物件。
20 賃貸住宅その9
現在住んでいる建物。
ひとつの建物に住んでいる年数が平均2年間もないという、信じがたい実態を今かみしめています。
<占い師の視点>三人姉妹の宿痾(カルマ)
私は男性なので、姉妹というのがどういうものかについては憶測の域を出ないのですが、恋愛でも結婚でも「どうしてこうなっちゃんだ?」と考えこんでしまう事例について、その方の家族構成を聞いてみると「三人姉妹の一人でした」ということが、たびたびあります。
さて、三人姉妹とはどういうものなのかについて、次のリンクを貼っておきます。
私の知っている三人姉妹の「どうしてこうなっちゃったんだ?」という具体例をいくつか挙げてみます。
1 男性へのデリカシーがなさすぎる
Aさんとしましょう。Aさんは「男性はいつも強くたくましくいつも女性を守る存在」だと信じて疑いません。とはいっても、男性も人間なのですから激しく体をどこかにぶつければ気絶するほど痛いし、落ち込んでいるときには女性から慰めの言葉の一つもかけてもらいたいものなのですが、Aさんはそういうことには一切関心がありません。
彼氏さんが階段から足を踏み外して痛がっているのを見て大笑いしていたり、仕事が忙しくて疲れきっているのを見て「疲れたサラリーマンみたいな顔をしないで!」と怒ったりします。
これは、Aさんが男性というものをミケランジェロのダビデ像のようなものだと思っているということです。
当然、夫が浮気に走って離婚したのですが、Aさんがその浮気相手の居所を突き止めて、「ドロボウ猫!ビッチ!このクソ女」などと喚き散らしたところ、その浮気相手さんから「だって、奥さんに愛情がないからこんなことになるんでしょう?私はあんな男、どうでもいいんですよ(笑)」と説教されて絶句したのだそうです。
2 "自由に生きていいんだよ"と言われたもののロクな人生を歩んでいない
たとえば、男の子一人、女の子一人というような家庭だと「息子には、立派な社会人になってもらって、娘にはほどほど稼ぎつつ、一応嫁にも行って安定した生活をしてほしい」というのが一般的な親の願いです。
もちろん、子どもには子どもの人生がありますから、そうそう親の期待に沿うような人生を歩むかどうかはわかりませんが、親が望むような人生がそれほど悪いものでもないという場合には、たいていの子どもはそれに近い人生を歩みます。
ところが、三姉妹の場合、全員が女の子なわけですから、親は「すでに、姉二人は安定した平凡な暮らしをしているから、末っ子には自由な人生を歩ませてもいいのではないか」と考えること場合がときどきあるようです。
ところが、世の中「自由」ほど苦痛なものはありません。魯迅の名言にあるように「もともと地上に道はない。歩く人が多ければそれが道になるのだ」 とのとおり、前人未到の道を行くのは死を覚悟しなければなりませんし、うっかりその未踏の道へ途中まで行ってしまうと戻れなくなってしまいます。
無限の可能性を試した結果、精神に変調を来して「生活保護を受給している」という人が結構います。いっそのこと親の束縛があったほうがよほどマシだったのではないかと思えます。
3 いつも姉にいい思いばかりされていたため、人のものを盗りたがる
これは、ときどきいる「略奪愛」が大好きな女性ですね。盗ったら飽きます。
もちろん、すべての三姉妹がそうだと決めつけているわけではありませんが、占いの例としてこうした例を多くを見ますので、もし該当の方がいましたら、深くご自身を洞察して、「自分は何をどういう人生を歩みたいのか」を早いうちに考えて決めておいたほうが良いと思います。
J-POPしか聴かない妻がクラシックやジャズについて述べたコメント集
音楽の趣味は人それぞれですから、「この曲を聴いて感動するべきだ」などと強制するのは、他人の内面の自由を束縛する野蛮な行為です。
だから、私が聴いているクラシックやジャズ(ときどきロック)について、「全く感動しない」という人がいるのは当然のことなのですが、J-POP好きな私の妻の場合は、各々の楽曲についての一言コメントがあまりに面白いので、以下にまとめてみました。
妻「ああ!知ってる!ドボルザークの"家路"でしょ」
どっちも学校で流されるからしかたがないかも。
2 バッハ作曲「(いわゆる)シャコンヌ」
妻「ノコギリ節」
私の家のオーディオがダメなんだろうか・・・
3 チュニジアの夜
妻「何?このチンドン屋みたいな曲」
確かに、そう聴こえるかもしれません。
4 レッド・ツェッペリン「天国への階段」
妻「めそめそ歌い出して、後半にいきなり発狂する曲」
HR/HMの聖歌に対してこの感想org
妻「お茶目でカワイイ曲」
そうとう大変な曲なのですが・・・
妻に限らないのですが、大半の人はクラシック音楽というものはベートーヴェンであろうがマーラーであろうが「オーケストラの音」としか認知していない人が大半だろうと思います。(室内楽はどうなのかよくわかりません)
また、「私は"音楽"には特に興味がない」と言う人でも、好きな歌のひとつや二つはあるものなので、"うた"は歌であって音楽ではなく、クラシック音楽のような長大なオーケストラ作品はすべて「伴奏」に聴こえるようです。
それであっても、就活の履歴書や婚活のプロフィールには「趣味:音楽鑑賞(クラシック)」と書きたい人がそうとう多いのも事実であって、いわゆる音楽の裾野を広げるさまざまな活動をなさっている人たちは、こういう一般ピープルのニーズにも応えて差し上げる必要もありそうです。